1.秋風はまだ夏の余韻

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朝は涼しくて静かな風が吹く。まだ、町が眠気を含んだような大人しい水色の空気にひっそりと浸かっていて、学校の敷地内も同じ気配に満たされていた。その中では、部活動の音は涼しく響いて、心地よく感じた。 ふと、僕は上を向く。 耳を澄ますと、どこかで聞いた音が聞こえる。ピアノの優しい音。微かだけど、ここまで届いてくる。 昇降口に入ると、石の床や壁がしんしんと夜の冷気を(たた)えていて、僕は暗い地の底へ(したた)り染み入るような深みを吸い、喉を潤わせて、肺を冷やす。足音の熱がすんなりと沈み、遥か遠くから全ての音が聞こえてくるようだった。 薄い鉄製の下駄箱を開け、樹脂でできた上履きに履き替える。金属の不躾なキンとした音も樹脂の中途半端なコツンとした音も何かこの場では違うはずだったのに、今となってはその何かは気のせいだったと受け入れるようになっていた。 いつもなら、このまま教室へ向かうが、僕は昇降口で少し立ち止まる。ピアノの音がまだ聞こえていた。音楽室がある方向だ。 どうして、気になっているんだろう。 僕はその理由がわからなかった。気になっても仕方がないと考えて、教室に向かえばいい。勉強に精を出し、いつもの変わらない毎日に溶け込んでいくだけでいいはずだ。 一歩踏み出すだけで軋む廊下は、所々補修されていたり、今にも底が抜けそうにたわんでいたりする。忍び足などできない。ギィと音を立てて廊下を歩き、石の階段を上がっていく。 そして、四階まで来て、立ち止まった。音楽室の扉の向こうは、しんと静まり返っていた。
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