1.秋風はまだ夏の余韻

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僕は妙だなと思った。ここでピアノを弾いているものだと思ったのだが、気のせいだったのだろうか。僕は首を傾げながら、引き戸に手をかけて少し力を加えてみる。すると、扉が少し開いた。鍵が開いていたのだ。 僕は途端に緊張しだして、唾を飲み込んだ。中をそっと覗いてみる。こんなところ、誰かに見られたら、絶対嫌だなと思う。それなのに、僕の身体は勝手に中の様子を見ようと動いていた。 女の子が、一人、ピアノに突っ伏して、沈黙していた。 僕はドキリとして、音楽室に入る。すぐさま、女の子の側に行き、彼女の肩を指先で軽く叩いた。 「お、おい……」 緊張のためか、何年も喋ってなかったみたいなかすれた声が出た。僕は咳払いして、再度呼びかけた。 「大丈夫か?」 反応がない。どうしたらいいかわからなくて、僕はしゃがんで彼女の呼吸に耳を澄ませた。僕の心臓の音がやけにうるさくて、小さな音が聞き取れない。 僕はもう一度、彼女の肩に指先で恐る恐る触れた。それから、ゆっくりと揺さぶってみて、大丈夫かどうか確認する。 「本当に、大丈夫か?」 僕の脳裏には、先日の突然倒れた彼女の姿が浮かぶ。あのときは、近くにいた男性に起こされて目を覚ましたが、どうしようもなく不安になる。 すると、(うめ)き声が聞こえた。 「あ……れ?」 目を擦りながら、身体を起こした女の子は僕を見て、ほんの二秒だけ固まる。僕も彼女につられて、固まってしまう。 「え? あっ、私、寝てました⁉」 状況を理解したようで、彼女は急に慌てふためく。その慌てように、僕はかえって冷静な頭になる。寝ていた? 「気を失っていたように思ったけど……」 僕は率直に言う。さっきまでピアノ曲が聞こえていたのに、そんなにすぐに寝てしまうものなのか? 「あ、えと、寝てたんです」 「突然、寝てしまう?」 「はい、突然、急に、ふと、寝てしまうんです」 それは、病気か何かなのではないか? 僕はその疑問を口にしそうになり、飲み込んだ。 「大丈夫ということなのか?」 「そういうことです」 まあ、そういうことなら、これ以上つっこんだことは聞かなくていいか。僕はそう思い、少し安心した。
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