1.秋風はまだ夏の余韻

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しかし、僕は女の子と目を合わせて、ようやくこの状況のまずさに気付く。それと同時に、彼女がある疑問を口にした。 「ところで、どうしてあなたはここにいるんです?」 素朴な疑問。だけど、かなり致命的な質問。僕は一気に嫌な汗をかき、思考が混乱して言葉が出ない。何か言わないと。 「あ……え、その、たまたまピアノ曲が聞こえてきて……」 声が妙に出なくて、視線が泳いでしまう。ここで思い至るが、僕は女の子と会話した経験がほとんどなかった。どう見られているのか、変に思われていないか、意識し過ぎて顔が熱い。 「そうだったんですね!」 彼女は警戒するどころか素直に嬉しそうな反応を見せた。僕はあれこれと考えていた分、肩透かしを食らった気持ちになって、力が抜けた。 「ああ。だけど、邪魔だったよな」 「いえ、むしろ、せっかくなんで、もう一曲弾きますよ?」 「いやいい」 突然の申し出に、僕は驚いて即答してしまう。すると、彼女は目を見開いて、それから俯いた。 「じゃあ、勝手に弾いちゃいます……」 僕がまずいと思って、謝ろうとする前に、彼女はピアノを弾き始めた。 旋律はアラベスク、流れるようなカーテンの揺らめきを連想する。早朝の風を感じ、僕は微睡(まどろ)む中にある穏やかな温もりに心を奪われそうになる。 もう弾き始まってしまっては、立ち去ろうにも立ち去れない。その場で突っ立ったまま、僕は彼女の演奏を聴いた。 最後まで弾くのだろうか? 中盤が終わり、また主題の旋律が流れる。いつの間にか、僕は手をぎゅっと握っていて、拳の中が少し汗ばんでいた。今回は、最後まで弾ける? と思ったら、ふらりと音が消え、彼女が急に糸の切れた人形のようになった。 「あぶなっ」 僕はとっさに彼女の肩をつかみ、倒れるのを防いで、椅子の背もたれにもたれさせた。 「おい、これが寝ているって言うのかよ」 僕は目の前で起きた彼女の異変を眠っているだけだと納得などできなかった。彼女はさっきと同じように気を失っていて、僕の言ったことは聞こえていなかった。 少し肩を揺らしてやると、彼女は目を覚ました。
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