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唖然とする私に、淡々と「そいつ誰?」、と聞いてきた。
「あ、俺の事怪しんでる?」
続けてそう言うから、反射的に否定した。
「その、名前、知らないんです」
「ん?」
「その人の名前……」
「ああ、そう言うことか」
言ってから、何かを考えるような素振りをした。そして、「着いて来て」と言うなりさっと踵を返した。
彼が向かおうとしている先を、簡単に想像できた。それよりも、展開が早すぎて、これは現実なのかと疑いたくなる。
「俺、藤沢だから」
「藤沢、さん」
「名前は?」
「あの、えっと、橘かれんです」
しばらく歩いたところで、「研究室A」の文字を見つけた瞬間声が出た。
「えっ、何?」
彼が、少し驚いた顔で私を見ている。
「あの、この部屋です」
「この部屋が何?」
「えっと、この部屋にいるはずです」
遠慮がちに指を差す。すると、少し困った顔をした。
「同じ大学とは言え、部外者の出入りはあんまりよくないんだよね」
「そう、ですよね……」
「でも、ここの奴だったら行動範囲そんなに広くないと思うから、向こうのカフェテリアか、さっきいた図書館ってとこかな」
「それじゃあ、カフェテリアに行ってみます。あの、親切にありがとうございます」
頭を下げ、一歩踏み出したところで二の腕を掴まれた。
「ちょっと待ってよ。ここまできたらそいつのこと気になるし、とりあえず一緒に行こうよ」
そもそも、藤沢さんに声をかけてもらわなければここには来れていなかったわけで、だから、断るに断れなかった。
そしてその人は、意外にも簡単に見つかった。
カフェテリアの外にある四人掛けのテーブルに一人で座り、パックのジュースを片手に、分厚い本を読んでいた。
「マジか……」
呟くように藤沢さんが言った。
「はい、マジです!」
「いや、そう言う意味じゃなくてさ、マジであいつなの?」
「え? はい」
「確かあいつ、二回生の本田、だったかな。ちなみに、俺とタメだから」
「本田さん……」
「て言うか、なんであいつなの?」
考えたこともなかった質問に、頭を悩ませる。
「……白衣、着てるから」
「俺も着てるし!」
「……背が、高いところとか?」
「俺とそんなに変わんないよ」
「なんか、可愛い、です……」
言いながら、恥ずかしくて頬に両手を添えた。
隣にいる藤沢さんの「可愛くねぇよ!」の一言が、遠くで聞こえるようだった。
「どうすんの?」
腕を組み直し、私を見下ろしている。
「とりあえず、今日は帰ります」
「ええ!? 帰んの?」
「はい。明日、また来てもいいですか?」
「俺に言うなよ!」
「えっと、藤沢さんに会いに来ます」
「え? 俺? なんで?」
「何て言うか、口実が、ほしいので……」
「ああ、そう言うこと。いいよ。ちなみに俺の行動範囲も、図書館かここくらいだから」
自分の中では一歩踏み出せた気でいた。いや、大きな一歩だ。だから、顔が緩んで仕方なかった。
最後にもう一度お礼を言い、「また来ますね」と頭を下げ、藤沢さんと別れた。
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