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次の日から、毎日のように大学院のカフェテリアに来ていた。
本田さんには、会えたり会えなかったりだった。それでも、姿を見れた日は幸せな気持ちになれた。ただ、目立った発展は一ミリもなく、私の足元は、お気に入りのサンダルからお気に入りのブーツに変わっていた。
「かれんは気付いてないかもしれないけどさぁ、もう冬なんだよねぇ」
藤沢さんの呆れた口調に、ぎこちない笑顔で返す。
「かれんクリスマスって知ってる?」
「もう! さっきからバカにしてますよね?」
「してる」
ほとんど棒読みで言ってから、温かいコーヒーをそろそろと口に運んだ。
「私だって、頑張りたいんです。気持ちは、あるんですけどね……」
言葉とは裏腹に、声がぐっと小さくなる。
「その台詞、もう何百回も聞いたから」
「私、もう諦めた方がいいんですかね……」
大きなため息のあと、突然藤沢さんが立ち上がった。
「俺があいつ呼んできてやるから、さっさと気持ち伝えろ」
「ええ!?」
慌てる私に背中を向けると、足早に本田さんの方へと向かって行った。すぐに追いかけるけれど、藤沢さんが本田さんに声をかける方がわずかに早かった。
本田さんは、少し驚いた様子で私を見上げながら「どうも」と言った。だから私は「こんにちは」と返した。たったそれだけで、たったそれだけなのに、心臓が飛び出しそうだった。
それ以上は、無理だった。
藤沢さんの腕を掴み、本田さんに頭を下げてから急いでカフェテリアをあとにした。
「かれん」
本田さんから逃げているみたいで、なんだかモヤモヤした。
「かれん?」
「……はい」
「ごめん怒った?」
「いえ、そんなんじゃ──」
自分の気持ちが、よく分からなかった。目の端に、「研究室A」の文字が映る。
「あの、きっかけを作ってくれて、ありがとうございます」
「別に俺は」
「私には、あれが限界で、すみません……」
言いながら頭を下げると、私の頭に手を乗せた。
「だけど、頑張ったんだろ?」
「あんなの、頑張ったなんて言えないですよ」
本心と、この現状に、この手に戸惑った。
「本田の事、やっぱり好き?」
言いながら詰め寄るから、一歩足を引いた。
かかとが壁にぶつかる。
そうだとすぐに答えられなかったのは、藤沢さんの顔がいつもと違う気がしたからだ。
「俺は──」
一旦目をそらし、再び真っ直ぐにこちらを向いた。
「お前がいいから」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「俺じゃあ、だめかな?」
胸が、一気に騒がしくなる。
「ごめん、かれんのこと好き」
そう言って目を伏せると、藤沢さんは自嘲気味に笑った。
「えっと、私……」
「分かってるから、お前の気持ち」
「私……」
「だけど、一応返事聞かせてくれる?」
そろそろと息を吸い込んだ。それを、同じくらいそろそろと吐き出す。
「……だ、だめでは、ないです。どちらかと言うと、好きです」
「なんだよそれ、答えになってないから」
笑いを含んだ声でそう言うと、片手を壁に付け、首を傾げて私の顔を覗き込んだ。
次第に真剣な表情に変わるから、うまく息ができなかった。
「じゃあ、俺にキスされるの嫌?」
まさかそんなことを言われるとは予想だにせず、驚きすぎて完全に思考が停止してしまった。
「かれん?」
「……は、はい」
「嫌?」
「……い、嫌ではないです。でも、今は、嫌です」
その答えをどう解釈したのか、ふふっと笑うと私から離れた。
「じゃあ、お前がいいって言うまで待つから」
驚いている私の頭を優しく撫でた。
「俺、お前好みの可愛い男になれるように頑張るからさ」
冗談なのか本気なのか分からない笑顔に、一応の笑顔を返す。
私の思い描いていたものとはだいぶ違う方向へ行ってはしまったけれど、藤沢さんの言動には間違いなくドキドキした。もしかすると、もうずっと前から、彼のことが気になっていたのかもしれない。
本田さんを好きにならなければ藤沢さんと出会うこともなかったのだと思うと、どこに出会いがあるのか分からないものだと思った。
別れ際、「最初からずっと好きだった」、そう言われ、彼とのキスはそう遠くない未来なのかもしれないと、こっそりとそう思った。
完
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