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1.雨の中
ぽつん、と何かが肩に落ちた感触がして空を見上げた。先程まで晴れていた様な気がしたのだが、いつの間にか黒い雲が空を覆っていた。そこからぽつりぽつりと雨粒が転がり落ちてきて、ぼくの肩や頭を濡らし始めた。突然の雨だった。
今日は一日晴れの予報だった筈なのに。ぼくは小さく悪態をついて近くに雨宿りできる場所が無かったかと考えながら走り出す。しばらく走るとコンビニが見えてきた。そこの屋根の下に入りながら少し考える。雨はやむ気配はない。しばらく降り続きそうだった。コンビニで傘が買えるが、あいにく財布の中には千円も入っていなかった。バイトの給料が入るのは明日だし、傘の為にわざわざ下ろすのも馬鹿々々しい。前にもこうやって買った傘が家には数本あった。といってもこのまま走って帰るほどの気力は残っていない。さて、どうするか。急速に地面に叩きつけられて広がっていく、雨粒をぼんやりと見つめる。
『春先の雨は、春時雨って言うんだってさ。』
いよいよ激しくなってきた雨音に混じってアノヒトの声が聴こえた気がした。ぼくの隣には誰も居ない。幻聴。ただの名残り。それはどうしようもなく過去だった。もう聴くことが出来ないであろう、穏やかな声色。アノヒトのことをぼくはまだ忘れられないでいる。珈琲の香りも、暖かな豆電球の光も。
目的地が決まった。ぼくは軽く顎を引いて、屋根の下から抜け出す。途端に体を打つ、雨。その冷たさがじわじわと体の内側まで広がって、ぼくはなんだか泣きそうになった。
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