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アルファの弟とベータの兄
弟のレイランドはなにか嬉しいことがあるとまず真っ先に兄である自分に報告するのが癖だった。
琥珀色の瞳は同じ色をしているはずの自分とは似ては似つかないほど輝いており、褐色の肌は引き締まっている。
そんなレイランドの端正な顔を引き立てるように纏っているカドューラのたろやかな流れも綺麗にその体を惹きたてている。
ベータである自分が髪を伸ばし、レイランドと同じ服装や髪型を真似しても足元にも及ばないだろう。外見からも自信を感じさせるのがさすがのアルファということか。
そんな神に愛されたような体、顔を持つ弟が自分にむかって子供らしい笑みを両頬に携えながらいる。
足はかろうじてソファに座っているものの、手はもし翼が生えていたら飛んで行ってしまうかと思うほど激しく動いている。
「やっと見つけたんだ! 彼が僕の運命なんだ!」
「そうかい。そりゃよかった」
そりゃ、電話口で意味わからない言葉を発するわけだ。
興奮しきった言葉ではまったく電話の意図が掴めなかったため、とりあえずオフィスに来いと伝えた数十分後、多少は落ち着いているものの未だ興奮冷めやらぬ腹違いの弟を宥めるように少しでも落ち着くようにとコーヒーをだした。
このコーヒーは日本にきてからほぼ毎日と言っていいほど飲んでいるお気に入りである。
自分も座り淹れたばかりのコーヒーを飲む。
最初は秘書や使用人に淹れさせていたのだが最近では自分でその時の気分に合わせた濃さにするので自分で淹れるようにしていた。
本当は兄として弟の話を辞めさせるべきなのだが、楽しそうに話す弟の話を聞くのは久しぶりのためついつい頬が緩むのを感じる。
「ほら、これを飲め。声、枯れてるぞ」
「ありがとう。ドュー」
「レイランド、一応仕事の時間なんだ。昔のあだ名は辞めてくれ」
「ごめん、ドューラン」
昔は本当の名前を忘れてしまうほど呼ばれた名前はもう目の前の弟しか呼ばなくなった。
あだ名で呼ばれるのは嫌ではないが呼ばれるとどうしても甘やかしてしまう。それが弟にとっても良くないのは分かっているつもりだ。
「で、見つかったんだって? 番」
「そうなんだ!」
レイランドはドューランが丁寧に淹れたコーヒーを一飲みで飲み干すとドューランにどんな愛を歌う詩人でも負けない愛の散弾銃を発射した。
「あれは君への用事を終わらせて車に戻る時だった。道路の向こう側にいた。思わず飛び出して彼の元へと行ったよ。黒髪の綺麗な人だった。瞳も黒でね、僕を見て驚いて目を開いていたのがさらに愛おしかったよ! 僕は聞いたんだ、番だろって! そしたら彼、僕が番だと驚いてた! それで・・・」
興奮すると矢継ぎ早に話す癖は20をとうに越した今でも未だに治っていない。
「ふうん、番は男だったのか。で、その番は?」
「いないよ! どこかに行っちゃったんだ!」
「お前それ、逃げられてるじゃないか」
「そんなわけないだろ! 照れてしまっただけさ」
「・・・・・・」
前々から本人には伝えていたつもりだったがレイランドは脳天気なところがある。
今はドューランがフォローしているがいずれ1人で仕事をするうえでは非常によろしくない長所である。
「本当に番だったのか? 久しぶりにオメガをみたから誤解しただけじゃないのか?」
「彼は僕の番さ!」
まったくアルファは自信過剰すぎるがゆえに世間がどうにもわかっていない。
かといってその世間知らずさは他の才能でカバーされているのだからまったくこの世は不平等である。
「……しかし、本当に番が見つかるなんてな。はるばるお前を日本に送った親父様もうれしいだろう。連絡はしたのか?」
「まだだよ。君に来いって言われてすぐに来たんだし、父に連絡した途端家が建てられちゃうし、戻ってこいとか言われそうだから、少し間をおこうと思う、そうしたほうがいいだろ?」
「ああ…、たしかに」
嬉々として家、車、使用人、宝石を用意する父親の姿を思い浮かべた。
父親と言えど冗談ではないなというのが正直なところである。
父親はこの末っ子のレイランドに対してはどんな菓子でも逃げ出すほどに甘いのだ。
「しかしその番相手に逃げられるとはな……」
「なんだい、気になるのかい?」
「ああ。親父様とお前の母親との出会いを俺は見ているからな。だから逃げたっていうのがどうにもひっかかる」
「ああ、あれ。でもあれは二人が大げさなだけだろ。確かに俺はそうしたくなったけども。日本人はおしとやかっていうし」
「いやいや、お前はいまだに信じてないんだな。親父様が群衆の中にいたお前の母親と抱き締めあったこと。あれはな――」
「はいはいわかってるって」
ちなみにドューランが出会った多くのアルファ、オメガたちは多くが父と母の出会いを大げさだ、オーバーだと言っている。
弟の場合はしたくなる気持ちはわかったようだが、肝心の相手の逃亡ですんなりと信じられないようだった。
「でも、本当に日本に来れてよかったよ。最初はなんて効率の悪い国だと思ったけど。僕の番を引き合わせてくれた」
「そうか、お前が気にってくれてうれしいよ」
「ああ。ドューランがここで仕事をしてくれてよかった」
父の事業が遠い異国の日本の企業と提携することになり、新たに子会社をつくる必要があった。
今のドューランに任されている仕事はその企業と父が作る子会社の橋渡しをするものだった。
橋渡し役といっても、やることは社長である父の代わりである。今現在多くの国で他の兄弟が似たようなことをやっているが、たまたまドューランが日本の担当になっただけで、レイランドはドューランを慕っているからとの理由で大学を卒業後勉強がてら日本につい最近来日したに過ぎなかった。
いずれ家の力を借りずに自分で生きていかなければならないレイランドの勉強としての来日だったのだが、任せた仕事をレイランドは学校を卒業したばかりなのにどれも完璧にこなしているのはさすがアルファというべきか。
レイランドの空になったカップに再度コーヒーを注ぐ。再度一気飲みをしても喉に負担をかけないように湯の温度はぬるめにしておいた。
コーヒーを入れた後、ドューランはソファに座りなおし、そしてなるべく低めの声でレイランドに言った。
「レイランド」
「なんだい、ドューラン?」
この年の離れた弟はドューランの忠告はよく聞いた。
「この国に着てまだ日が浅いお前には信じられない話なんだろうが、日本のオメガは特殊なんだ」
「と、いうと?」
「社会的なオメガについては他の国と一緒だ。オメガもほかの性別と同じような職、人権を持とうと努力はしている。ま、俺は無理な努力と思ってしまうがな」
オメガはオメガ、ベータはベータ、アルファはアルファ、男は男、女は女として考える自分たちとは大きな違いである。
正直な話を言えば性別や役割が違うのにわざわざ無理に平等にするなんてそれこそ不平等ではないのかと、ドューランは思う。
レイランドも同意するようにうなずいた。ドューランもそれに続くように再度口を開いた。
「で、オメガの一番のハンデは発情期だ。3か月に1回のこれが続くからこそオメガは今まで平等になれなかったというわけさ」
「ああ、知ってるよ」
「今まで他の国と同様休暇を出したり、保証をつけるところなんだが、最近増えているのが生殖器の除去手術さ。これが成功すれば、オメガはベータになる」
「なんだって!」
よほど驚いたようでレイランドはソファから立ち上がった。顔中で「ありえない」と表現している。少し笑いそうになったがそこを兄の威厳で顔を引き締めた。
「レイランド、何回も言っているがジェンダーに関してでいえば、俺たちは少数派なんだ。これから生きていくなら多数派も学ばなくてはな。ま、俺もその話を聞いた時はお前と同じ顔をしたよ」
「信じられない……、神への冒涜じゃないか」
「そのへんも俺らと違うんだ。ここでは」
宗教、暮らしが少し違うだけでも大きな文化の違いが生まれる。ドューランはそれが面白いからこそ父親の代わりにほかの兄弟より積極的に他国へ赴いているのだが、どうしても受け入れられないことも多くあるのも事実だ。
「話を戻すとな、レイランド。日本ではその除去手術に対して何の規制もないし宗教といったしがらみもあまりないんだ。だからこそ多くのオメガがその除去手術を考えている。手術自体が盛んになったのはこの最近のようだがな。けど、多くのオメガたちがそれを考えているのが事実だそうだ」
レイランドの優秀なアルファの頭脳はわかりきっているが、ドューランは念を押す意味で言った。
「お前のその『運命の番』も、手術を考えているから逃げたんじゃないのか?」
意味を十二分に理解したレイランドは苦々しさを前面に出した表情を浮かべた。
先ほどの幸せに満ちた顔とは大違いである。そしてかみしめるようにコーヒーを一口飲んだ。
「………、わかったよドュー、君が言いたいことが」
「ああ」
「その除去手術って完全にオメガじゃなくなるものなのかな」
「俺が日本人の知り合いに聞いた話では、手術をした後は発情期の時に熱っぽくなるくらいということとアルファに対して何も思わなくなるだけだな」
「……それは、運命の番にも言えることなのかな」
「俺もそれは聞いてみたが、運命の番をもっての除去手術の事例がないらしくてわからないらしい」
「……わかった。ありがとうドューラン」
「気にするな、できる弟のサポートも兄の役目だもんな」
レイランドは笑みを浮かべた。苦々しい表情は息をひそめたが、その瞳の裏にはさまざまなことを理解し、思考していることは明白だった。
「そういえば、仕事は大丈夫なのかい?」
レイランドの言葉を受けちらりと時計を見た。レイランドがこの場に来てからもう一時間たとうとしている。
多忙を極めるドューランがこんなにレイランドに時間を使えるのは久しぶりだった。
「実はこの時間は打ち合わせの予定だったんだがすぐに終わってしまってな、暇していたんだ」
「そうだったんだ。いいドューの暇つぶしになってよかったよ」
「レイランド、だからその呼び名は、」
「ごめんってドューラン。じゃあ、僕行くよ。ありがとう」
二口ほどでコーヒーを飲みほしたレイランドは立ち上がった。自然とレイランドを見上げる形になったドューランだが、それによってレイランドの瞳は意思の炎が爛々ときらめいているのがよく見えた。
願わくばこの愛しい弟の運命の番が早く気が付いてほしいということだ。
アルファと番になるのがオメガの至上の歓喜ということに。
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