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保護オメガ
目的地についた圭吾は車を止めバックを持って飛び出した。
カラオケの店員に事情をかいつまんで話し、居るとされる部屋に向かう。扉にはプライバシーのためか中の様子が伺えない。ノックをしたが反応がないので、ゆっくりと扉を開いた、
「…椎名さん、入ります」
二人入るだけで息苦しさを覚える室内のなかに、椎名はいた。夏は終わり、もうクーラーは必要ない気温だが、部屋に入ると少し暑さを覚える。椎名は圭吾が来たことに気づいていないようで、椅子に座り太ももに肘をつく頭をうなだれている姿はまるで懺悔しているようにも見える。
うなじを隠すほどの長さの髪は汗に濡れて湿っている。そしてうずくまっている状態でもわかるほど息の荒さが体全体で伝わってきた。そして圭吾に気がつかないような状態…。
圭吾はすぐに目線を机に移した。悠生に所持を禁止にしていたオメガ専用の発情期の抑制剤が見えた。
すぐにどういう状態か察した。発情期ではないオメガが抑制剤を過剰接種した場合に起きる意識喪失。
「椎名さん!」
無理矢理うずくまっていた上半身を起こした。
電話を受けたのが40分ほど前、抑制剤が胃の中で薬が溶ける目安時間が30分とされているが、今なら無理やり吐かせて病院に行けばまだ間に合うかもしれない。
「椎名さん! 起きてください!」
肩を揺らし意識を戻させる。椎名の意識は幸い飛んでいない。しっかりと椎名の目をこちらに向かせた。
驚いたように目を開いた椎名は表野の気迫に圧倒されたのだろう。少し怯えを見せた表情で圭吾をみた。
「あ……」
「飲んだんですか!?」
「え……」
「薬! 飲んだんですか!?」
「の、のんでない……」
そう言って椎名は手のひらに握られたものをだした。直径一センチほどのやや大きさのある錠剤。
意味がわからず、しばらく手のひらの錠剤と椎名の顔を見比べ、ようやく椎名は薬を飲んでないことを理解した。
一気に力が抜けるのを感じた。薬の乱用で依存症になりかけている椎名はこれを1錠でも飲むと今までの努力が遠退いてしまう。圭吾は椎名と出会ってから常にそれを警戒していたのだ。
「朝倉さん。すいません。俺……」
「いえ、いいんです。飲んでなければ」
「それもなんですけど、薬……」
「いいです。飲んでいなかったら…飲んで、ませんよね」
今だけではなくこの前からも、という意味でも言ったことは椎名も気がついているようだった。
「……はい」
「本当に?」
「あの、本当にお守り代わりで持っていました。その……不安で」
誘拐、監禁、拉致、人身売買などオメガには多くの犯罪が常につきまとっている。普段から番契約をさせないために保護プロテクターが椎名のうなじには縫い付けられてはいるが、発情期の正常な判断ができないときにはそれすらも安全とはいえない。それを助けてくれるのが発情期抑制剤だ。ある程度の発情期であれば、抑制剤によってアルファを刺激するフェロモンは大きく半減すると同時に多少の発情の熱を抑えてくれる。これが発明されてから多くのオメガたちが社会生活を送ることができたが、それと同時に生まれたのが発情期以外での抑制剤の過剰摂取だった。
圭吾自身、オメガ保護人として多くのオメガと出会ったが、皆多少の差はあれど多くが抑制剤の過剰摂取の症状を持っている。目の前にいる椎名も例外ではなく、抑制剤効果が見られないため常に発情期には規定の3倍以上の抑制剤を摂取していた。それゆえに発情期の周期が本来ならば三ヶ月に一度だが、椎名の場合、一ヶ月や半年ごとなど乱れた状態で、いつ発情期になるかわからない恐怖心でさらに薬を多用するという負の連鎖を続けていた。
椎名と圭吾と出会ってから2年ほどたつが、まず椎名に圭吾が行ったのが発情期の周期のコントロールで、それを安定させるのは圭吾含め多くの協力が必要なものだった。
しかし、一見重度の抑制剤の依存症とよべる椎名も、オメガの抑制剤中毒の中では、まだ、『重度』とは呼べないことは多くのオメガと対峙してきた中で圭吾は苦々しく思いながらも理解していた。
目の前の椎名の白いシャツは汗に濡れている。圭吾は水がほしいだろうと部屋を出てから、すぐ近くのドリンクバーで水を汲み、椎名にさしだした。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
それなりに大きめのコップに注いできたつもりだが、一気に椎名は飲み干す。椎名の顔色はもともと白いほうだが、先ほどの病的な白さではなくなりほっとする。瞳もしっかりと意識があるようにひかえめながらしっかりとこちらを見てきた。圭吾も水を飲み落ち着かせこれからの策を考える。
まず椎名が出会ってしまった相手が本当に椎名の運命の番なのか確かめなくてはいけない。そしてその相手から椎名の"手術"まで椎名を隠し通す必要がある。
相手がもし仮に椎名の運命の番なら当然アルファであるからそれなりの財力、権力を持っていることは当然ながら想定のうちに入れなくてはいけない。そうなると、持てる限りの方法を実践して椎名を特定しようとする。
「ありがとうございます。朝倉さん、落ち着きました」
「それはよかった。…出ますか?」
「ええ。お手数おかけしました」
「いきましょう。ここの室料は支払いましたから」
「えっ! いいです、払います」
「気にしないでください。念のため私が先にでます。どこに相手がいるかわからないので」
念のためカラオケ店の入っているビルの裏口を店員に案内してもらいそこに車をまわす。まわした車を止めてから再度部屋にいる椎名を呼び寄せ圭吾同様裏口から店に出た。
椎名を車に乗せ、車を走らす。とりあえずは椎名を保護できた。次は何をするか、いろいろ考える必要があった。
大丈夫、あと三ヶ月。
三ヶ月後の「手術」までなんとか椎名を隠し通せば、椎名の苦しみも解放できるのだ。
赤信号で止まっている時にちらりと後ろの後部座席にいる椎名をみた。
後部座席の窓は外から見えない仕組みになっているため、椎名も安心して乗れるだろうとの判断で座らせたが、緊張はまだ完全に取れ切れていないようで強張った表情で座席の隅に座っている。
「椎名さん」
「は、はい!」
「いろいろ考えなくてはいけません。それで確認なのですが…、椎名さんが出会ったのは本当に運命の番だったんですか?」
「……」
沈黙。
オメガが久しぶりにアルファに出会ったから過剰反応をしたとか、気のせいだったとか希望的な予測を圭吾は頭から取り払うようにした。
「ええ……、多分、そうだと思います」
「……、そうですか」
「なんで、こんな時に」
吐き出すように椎名は言った。圭吾は何も言えなかった。ようやくだったのだ。ようやく、オメガの苦しみから椎名は解放されるはずだった。それが今、たった一つの出会いで揺らいでしまったのだ。
『この出会いは神様がくれた贈り物なの。それは人間には決して叶えることのできない喜びを私たちに与えてくれるの。それが、運命の番なの』
遠い過去の思い出が急に思い出しておもわずハンドルに力をこめた。
大丈夫。自分なら、やれる。
「椎名さん、大丈夫です。私が守ります」
「…はい」
椎名の顔はルームミラー越しでも隠れて確認することはなかった。
けど、大丈夫だ。
圭吾は車を走らせた。
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