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自分の感情が上手く掴めなかった。
昔からそうだ。自分が嬉しいのか、悲しいのか、掴めなかった。
自分の感情すらつかめない不器用な私より、隣にいた彼はずっと器用だった。よく笑い、よく泣く少年だった。
彼は自分でも掴めない私の心を掴むのが得意で
「嬉しそう。」
と言って彼自身が幸せであるかのように笑ったし、何も言わずに私の頭を撫でることもあった。
それが私を慰めていたのだと気が付いたのは随分後のことだったけれど。
別に表情筋が死んでるわけじゃないのだ。
作り笑顔は上手く作れたし、玉ねぎを切ったり目にゴミが入ればぽろぽろ涙が零れたし。
笑顔の方が使い勝手は良かったから、自発的に泣かなかっただけで。
だから驚いたのだ。彼がいなくなった時に泣いてしまった自分に。止まらなくなったことに。
「誰が玉ねぎを切ってるの?」
そう零してしまうくらい、驚いたのだ。
そしてようやく理解する。
私は、彼が大切だった。
大切で、大切な人だった。
(ああ、そうか。)
私が自分の感情が掴めなかったのは決して感情が乏しいからじゃなかった。
手に余るくらい、感情が大きすぎたのだ。
だから今だって、大きすぎて溢れた感情が止まることなく流れ続けているのだ。受け止めてくれる存在を無くした私の感情はポロポロと溢れ続けた。
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