・傘と涙雨・

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「セン……、パイ?」 自分を呼ぶ声にはっとして目線を動かすと、少しほっぺたを赤くして見上げてる先輩と、目が合った。  うっかりしてた。 あまりにも上手いこと傘をコントロールできてたから、完全に油断してた。  不自然に先輩に向かって伸びたままの腕。 慌てて言い訳を探したけど、頭が真っ白でなんも浮かばねぇ。  落ち着け。落ち着け……  上手い言い訳が見つかんなくてつい、へらへらと間抜けな笑いを浮かべちまった。 まるで悟先輩みてぇだな、なんてどうでもいいことが浮かんできて、さらに焦った。 「えっとぉ……」  なんか言わなきゃ、ととりあえず口を開いたけど、その後が続かなくて。 思わず後頭部に手をやったとろで、先輩がクスッと笑った。 「それ、悟みたい」 「えっ?」 「へらへら笑いながら、後頭部触るの。仲がいいから似るのかな?」  ホントだ。 これじゃまるっきし、悟先輩じゃん。  なんか納得いかねぇけど、先輩が笑ってくれたことで、気まずい空気は壊れた。  それから先輩は、いつもの表情筋使いまくりの笑顔とは違う、ふわっと優しい笑顔を見せて、 「帰ろ?」 と顔を前に向けた。  だけど歩き出そうとした瞬間、先輩はあっ……、と小さくつぶやいて、人差し指を前に伸ばした。 「ねぇ、空明るくなってきてる」 先輩が指さすほうに目をやると、空の下のほうが明るくなってた。 「ホントだ……」 「雨、止みそうだねっ」  俺が頷くと先輩は、ぴょんと一歩大きく前に飛び出した。  それからこの間みたく、猫!と嬉しそうな声で言って、いきなり走り出した。 でも。 5メートルくらい先まで行って振り返ると、肩をちょっと上げて、残念そうに首を振った。  猫なんて俺には見えなかったけど。本当にいたのかな。 ホントはただ、俺から離れたかっただけなんじゃね?  そんなことを考えてぼんやりしてると、こっちに向かって先輩が、両手を大きく振ってた。 なんだろうと思って首を傾げると、先輩は手を振るのをやめて、ゆっくりと唇を動かした。 「……も……がとねっ」 「えっ?!」  ちゃんと聞き取れなくて聞き返したけど、先輩は笑顔で首を振って、また歩き出した。  多分…… いつもありがとね、って言ってたよな?  もしかして、俺が先輩のために傘持ち歩いてたこと、気づいてくれたのかな? でも傘から飛び出したってことは、やっぱ俺じゃ駄目ってことなんだよな……  まだ少し雨は降ってるけど、跳ねるように歩く先輩の向こうには、ピンク色の夕焼けが広がり始めてる。  傘はもう、必要ないんだな…… そう思ったらなんか、鼻の奥がつんと痛くなった。  あっさり止んだ雨と、短い片想い。 呆気なさすぎて、涙も出ない。 でもその代わりなのか……  右側に寄せたままだった傘を見上げると、縁の先で膨らんだ雨粒が左のほっぺたに当たって、涙みたいに落ちてった。
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