1 スーツが足りない

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本人が部長同様気楽だと喜んでいるのも知っている。 が、そんなのは知った事ではない。 寝室の小さな机は、イツキくんの持ち込んだノートパソコンだのヘッドセットだのですっかり侵食されてしまっている。 むうっと口を尖らせると、イツキくんがパソコンの蓋をそっと閉じた。 「……何を秘密にしましたか」 「社内のメールは見て欲しくないので」 わたしはじりっとイツキくんとの距離を縮めた。 イツキくんがきゅっと口を一文字に結んだまま、空笑いを浮かべる。器用だ。 普段、会社でも、そんな笑みを浮かべているのだろうか。 「わたしに秘密にするなんて」 「しますよ! さっきから何です、小春さん、構って欲しいんですか?」 「スーツを着ろと言っています!」 人の話は聞きましょう、と言いそうになってやめた。喧嘩をしたい訳ではない。ただ、心からスーツを着て欲しいだけなのだ。 「もう我慢の限界です。社内メールをわたしに見られてちょっくら面倒なことになるか、スーツを着てわたしを喜ばせるか、二つに一つです!」 「もう十分面倒くさいのですが!? なぜ今スーツ?」 「スーツが足りないからですよおおっ! わかってくださいイツキくん、何で着てくれないんですか!?」 渾身の訴えに、イツキくんがとっても心配そうな顔をした。 「なぜ小春さんはぼくにスーツを着せようとするんです?」 「逆に聞きますが、こんなお願い、夫であるあなた以外の誰に頼めばいいんですか? 部長ですか?」 「……今すぐ着替えます。少し待っていてください」 「はいっ!」 とっても嬉しくなって、わたしは、スキップで寝室を後にした。 肘くらいまである黒髪の毛先がぴょこぴょこ跳ねる。何となく、ちょっと邪魔だなと思った。
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