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愕然と佇む。
反応のないわたしの表情を伺うように、イツキくんが再度口をひらいた。
「あのー、小春さん? ええと、気は済みました? ぼく、実はお腹が空いてきました。因みに、今日のお昼ご飯って」
「イツキくん……とっても、とっても、有難いです。スーツ姿、すごく、感謝しています。ですが、その」
イツキくんに何か言われる前に、わたしは素早く言葉を紡いだ。
「ちょっとくたびれてみませんか?」
「さっきから立て続けに、あなたは何を言ってるんです?」
わたしはぶんぶんと首を横に振った。
イツキくんのスーツ姿は素晴らしい。でも、一番欲しいものが欠けていた。辛い。辛すぎる。仏作って魂入れず、だ。
「疲労感……」
「は?」
わたしはぱりっとしたイツキくんも好きだ。
でも、遅くに帰ってきて、くたくたなイツキくんも大好きで。
残業がぁ、とか、後輩がぁ、とか、後輩に差し戻したはずの仕事が謎の経路で差し戻ってきたぁ、とか。
新人研修の愚痴をあくまで穏やかに、それはもう理路整然と、淡々とこぼす、かつての日々が、あの日常が、大好きだった。
なんて言えば伝わるだろう。
「あなたがくっつけて帰ってくる外の匂いを、ストレスのかかった汗の匂いを、わたしはとっても愛していたようです。あと一息で完璧。山の頂上はすぐそこ! イツキくん、その姿で近所の公園まで走って帰ってきてくれませんか!?」
「お断りします!」
「なんでっ!?」
「ぼく、今、お昼休憩中なんですよ! 外を走るより、お昼が食べたいです!」
仕方がないので、わたしはお昼ご飯を作ることにした。
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