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プロローグ
夜の繁華街は人工の光に溢れ、昼よりも明るく感じるのに常にほの暗さがあるから不思議だ。
いつもは少し怖く感じるその暗さも今日に限っては自分の姿を霞ませてくれるようで有難いなと、波江みちるは思った。
「どうして僕までこんな格好……」
みちるがため息を吐くと、隣に立つ梓弦之介が、なによ、と艶やかな唇を尖らせた。
男とは思えないほどきれいな顔は、夜のメイクで更に色気を増し、分かっていても少しドキドキしてしまうほどだ。
細い体に纏う丈の短いワンピースは、先ほどから通りを歩く人の目を惹いている。
「わたしの見立てが気に入らないの?」
「そうじゃないですけど、僕、もう二十歳越えた普通の男なんですよ……」
梓のように特別華奢な体をしているわけでもない。キレイな顔立ちをしているわけでもなく、未だに高校生と間違われるほどの童顔の自分には女の子に化けるなど到底無理だと何度も訴えたのだが、聞き入れられず、今に至る。
「分かってるわよ。だから、少しセクシーなワンピースにしてあげたじゃない。子供っぽいのは嫌って言うからウィッグもロングにして大人っぽくしてあげたし」
お化粧だって完璧なんだから、と言う梓に、みちるがため息を吐く。
今みちるは、茶色のロングのウィッグを付け、背中の大きく開いたワンピースを着て、更に梓の手による化粧をし、歩きにくいことこの上ないヒールのついた靴を履いている。二十二年生きてきたが、こんな格好をするのは初めてだし、その上外を歩いているなんて死にそうなくらい恥ずかしい。
「……そもそもホストクラブに女装して入るって考えたの誰ですか」
みちるは目の前にそびえ立つビルの一階に入っているホストクラブの看板を見つめた。
「えー? わたしだけど?」
「じゃあお一人でよかったのでは?」
「あらあら、か弱い女の子一人で潜入捜査させる気?」
「……二十四歳の立派な男ですよね、弦之介さん」
梓はみちるよりも少し背も低く、華奢で、肩まである髪も地毛、普段から女の子の格好をしている。確かにぱっと見は女の子だ。
「みちる、今下の名前で呼んだ? 死にたいの?」
「い、いえ……」
しかし中身は、誰よりも男らしい。絡んできた男は返り討ちにしていた、と初めて聞いた時は、まさか、と思ったが、梓と知り合って半年経った今なら納得の話だ。
「ほら、とにかくお仕事行くよ!」
「え、まだ僕、心の準備が……」
「そんなの要らないってば。わたしが聞くから、みちるはニコニコしてればいーの!」
そう言いながら梓が歩き出す。みちるはそれに慌てて付いていきながら、でも、と眉を下げた。
「梓さん一人に任せるわけには……」
「今日の仕事は、ここのナンバーワンホストの情報を出来るだけ聞き出すこと。そんなの、みちるに出来る?」
「自信ないです」
「でしょー? だったら男だってばれないように大人しくしてなさい。今日のみちるの仕事はわたしがプライベートで遊びに来てるってことを印象付けること。情報収集に来てるって知れたら追い出されちゃう」
梓はそう言うと、慣れたように店のドアを開けた。そして小さく、ミッションスタート、と微笑む。
みちるはそれに頷いて、梓の後に付いていった。
『板崎なんでも本舗』――そんな安直で嘘くさい名前の会社が、みちるの勤め先だった。いわゆる便利屋で、蛍光灯の交換から修理や探偵まがいのこと、依頼が来ればレンタル彼氏のようなことまでやる。
依頼人の期待に応えること、それが社長のモットーで、社員はそれに仕方なく付いていっているのが現状だ。
今日だって、依頼の理由は、ホストの誕生日に一番喜んでもらえるプレゼントを贈りたいから出来る限りの情報を聞き出してきてほしい、というものだ。
まさかそのために自分が女装までしてホストクラブに潜入するとは思っていなかった。
「いらっしゃいませ。ご指名はございますか?」
店内に入ると黒いベストに同じ色のスラックスを履いた男性がにこやかにそう聞いた。梓はそれに微笑みを返し、初めてだからフリーでいいわ、と伝える。
「かしこまりました。お席、ご案内いたします」
先を行く男性の後を付いていきながら、みちるが梓に耳打ちする。
「まだ男だってバレてません、よね?」
薄暗い外なら、平気かもしれないと思ったが、店内は煌びやかで思ったよりも明るくて、みちるの心配は増していた。ヒールも歩きにくくて、いつ転ぶか分からない。
「誰に仕上げて貰ったと思ってるのよ。堂々としてなさい――ったく、みちるは入社した時から変わんないわね。いっつも何かの心配してる」
梓が小さく答えてくすりと笑う。
確かにみちるは心配性かもしれない。けれど梓の言う入社当時は、自分じゃなくても心配することだらけだった。
そもそもみちるがこの会社に入ったのはいわゆるスカウトだ。
半年前の三月、卒業を間近に控えていたみちるは、内定の決まっていた会社から、事業縮小の知らせを受けた。みちるが就職する予定だった部署がなくなるので、内定もなかったことに、という電話だった。
それをカフェの片隅で受け、呆然としていたみちるに、隣の席に座っていた男性が声を掛けてきた。
『よかったら、うちに就職しない?』
それだけ言って名刺を置いていったのが、社長の板崎真壱郎だ。
「いや、普通怪しいと思いますって。実際に事務所があっただけで驚きましたよ」
「でも、みちるはうちに入って来た」
「とりあえずの就職先が欲しかったんです」
みちるが梓にそう返すと、梓はたった二つしか違わないのに、はいはい、と子供をあやすように答えた。
「まあ、わたしも似たようなものだからね。真ちゃんに、梓はうちにおいで、なんて言われて、ほいほい付いていってもう三年……こんなにこき使われると思ってなかったけど」
「確かに……梓さんうちの稼ぎ頭ですよね」
「でしょー? 普段の事務仕事に、レンタルの頻度は一番多いし、衣装とか裏方仕事も多いし! まあ、この出来ならみちるもわたしみたいにレンタル出動回数増えちゃうかもね」
梓がみちるの全体を見つめてから、くすりと笑う。みちるがそれに何か返そうとしたところで、少し前を歩いていた男性が立ち止まりみちるは開けかけた口を閉ざす。
「こちらのお席でお待ちください」
そう言われ、通された席に着きみちるは小さく息を吐いた。
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