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「ごめんなさい、デレク」
近寄ると、ドロシーはそう言った。
「彼らに悪気はないんだ。正直すぎるだけで」
「わかってるわ。わたしたちはこんなふうに感情に振り廻されて、無駄な時間を生きている。過失と修正ばっかり。あの人たちの言うとおり」
「そんな言い方をしなくてもいいさ」
「宇宙再創造の話を聞かせるために、マキルはわたしたちをお茶に招いたのね」
「基地のコンピュータに、そんなデータはなかったな。地球へは伝えられなかったんだ。あの話、信じられるかい?」
「……あの人たちが、わたしたちを騙す理由なんてあるのかしら……」
二人は道を通らず、蜜樹の林を抜けて歩いた。
「いい匂い。この樹の蜜でこしらえた料理はおいしい。樹のお乳。惑星子を育てている」ドロシーは気を紛らすように喋る。「ここには植物だけで動物はいないでしょう。虫もいない。惑星子は変化の果てに蜜樹になる気がする。ずっと昔、地球人よりも先にこの惑星を訪れた異星人たちも、きっと蜜樹になったの。そして、この宇宙の最後には、蜜樹もキラキラする〈思念〉に結晶して、一つに溶けて縮んで、新しい宇宙を産む小さな小さな〈種子〉になる……ニルヴァーナから、そんな詩が聞こえる──気がする」
風もないのに樹々がざわついた。
「返事をした」ドロシーはデレクを見た。
デレクは笑った。
「ママはね──」
「言わなくて、いいよ」
「ママは神さまと不倫したの。パパをほったらかしにして、教会や集会へ熱心に参加した。小さかったわたしは手を引かれて連れて行かれた。ほら、ステキでしょう? ママは言ったわ、祭壇の十字架像とステンドグラスを指さして。でも、わたしはいつもふり返ってばかりいた。教会の扉のむこう、そのずっと先にあるお家。その中に一人ポツンと残されたパパの姿が、見えるような気がした。あの人は不信心だから――ママはそう言った。大金を教会に寄付して満足していた。ママは、パパよりも、磔にされた痩せた男の傍に居ることを選んだの。わたしは家庭を壊した男が嫌いなだけ。たとえそれが神さまだろうと」
デレクはドロシーの背に手を添えた。
すると彼女は立ち止まり、ふり向いて抱きついてきた。首に腕がまわり、つま先立ちになって唇を合わせてくる。その躰を、彼はやわらかく支えた。
唇を僅かに離して、言葉を口移しするようにささやく。「マキルの言うことは、みんな正しい」
「そうかい?」
「わたしがこうしてクヨクヨ考えたりするのは、脳の僅かな部分のわがまま。それ以外の躰の大部分は、命を維持するために、その間も必死に働いている」
「そんなことは考えなくても──」
「心臓は休みなく打ってるし、腎臓は大量の水を処理している。それなのに、脳はどうにもならない事にネをあげている……」
再び唇が合わさる。熱い息が寄せる。ふいに、捧げた舌に男の舌が応えようとしないことに気づき、静かに身を退いた。
「禁欲的なのね」傷ついたように言う。
目に何かを言いたそうな光が灯る。が、すぐに消え失せ、彼女は背を向けた。
ドロシーは歩き出す。早歩きになり、そのまま先に行ってしまった。
デレクは少し時間を置いた。それから、ゆっくりと後に続いた。
横の繁みの間から、思いがけない声がした。「ヤッちまえばいいのに。もったいねえ」
ボブが蜜樹の根元に座りこんで、ウイスキーのボトルを手にしていた。「やっぱり人間同士のラブシーンはいいねえ。ここの連中のママゴトとは大違いだ」
「酒は陽が暮れてからと決めたはずだ」
「もうじき暮れるじゃないか。カタイこと言うなよ」
「近頃飲み過ぎだろう。昨日も遅くまで飲んでいたじゃないか」
「よく眠れないんだよ、変な夢ばかり見て。最初は楽しかったがな……何でもかんでもハッピーエンドで、どうも嘘くさい。見たくないと思うと目が覚めるんだ。睡眠薬飲んでも夢は消えないし、こっちの方がまだマシだ」ボトルを掲げてみせた。「あんたも、どうだい」
デレクは応えず、ただボブの顔を見た。
その顔は孤独で、なんて生気に乏しい。
「しょぼい夕陽だな。おれの故郷の夕陽は凄かったぜ。学校の帰り道は、みんな金色に染まった」ボトルからひと口飲んで、ボブは呟いた。朱色を帯びた小ぶりな太陽を眺めながら、「もう一度見てみたいもんだ。カンザスの夕陽を見ながら死ねるのなら、それだけで充分だ」
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