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国連宇宙ステーションは、すべての国家の攻撃対象から外れる――と国際条約にある。建造時、一国の例外もなく締結されたのだ。
「国同士のサインは何の役にもたたなかったわけだ」船長のマイケルは主操縦席に深く沈み込んだ。顔面蒼白だ。
悪夢の中にいる気がした。夢であってくれるなら、悪夢だろうと頬ずりしてやりたいくらいだ。
パパが迷子になる――ミチルの言葉が頭の奥でリフレインしていた。娘の言葉は現実になった。
パパは迷子になっただけだ……でも、おまえたちは……
生存者など考えられない。人類を何十回も滅ぼせるほどの核が使用されたのだ。たとえ生き延びた者がいたとしても、それは不幸なことだろう。最期を迎えるまで緩慢な苦痛に苛まれることになる。
せめて──とデレクは祈った。家族が召されるのが瞬時であったことを。
マイケルにも家庭がある。同じ思いのはずだ。
大戦の予兆は確かにあった。が、予兆は予兆で終わると誰もが思った。いつものようにうやむやに。本気でおっ始めるわけがない。明日という日はずっと続くのだと。
情報は諜報戦の中で常に変化していた。情報は、真偽にかかわらず、千変万化な妖怪となって各国政府の意識に疑念のシミを付ける。シミは猜疑と恐怖を食べながら育ち、いつか巨大な怪物の影になっていた。その影に向けて最初の引き金は引かれた。僅かな誤解と憶測が重なり合い、パニックに点火して。
国連宇宙ステーションさえ、敵国の影響下にあるとの疑念により攻撃対象になったのだ。
「建造されたときは〈方舟プロジェクト〉なんて言われたのに――」デレクの声は虚脱していた。「粉々になっちまった……」
「ステーション完成式の日、覚えてるわ。世界中がお祭り騒ぎだった。あの頃、人類は誇らしげだった」
「生き残ってラッキーなのか? こんな、鉄の棺桶の中で」ボブが喘ぐように言う。「呼びかけてみたらどうだ? 他にも生き残った宇宙船があるはずだ。助け合えば――」
デレクは首を振る。「他国船と出遭えば戦争の続きだ。同胞でも、資源の奪い合いになりかねない。それに、発信すれば位置を特定される。生き残っている自動報復システムの餌食になる」
「もう特定されてるかもよ。宇宙船識別コードで追跡されて」ドロシーはコマンドを入力している。「いま行先を探してる。とりあえず何処かへ行かなきゃ」
「人間が死に絶えても、亡霊に攻撃されるか……」マイケルは投げやりだ。「冷静だな、ドロシー。船長を交代しよう」
「現実的なだけよ」
「何処でもいいけど、ショーパブのある処にしてくれ」ボブが言う。
数分後。AIが回答した行先は最果ての惑星だった。アルファ17恒星系9番惑星――通称〈アルファnine〉 。地球化は一世紀以上前に終了しており、生命維持装置なしの下船が可能だ。
より近い距離にあるもう一つの植民惑星は選択肢にならなかった。常駐する数か国の軍事施設同士が、地球より数分遅れて戦闘に突入した。勝者はいなかった。地球化が不完全なその惑星では、母星から定期的な補給とメンテナンスを受けなければ生活不能だ。どの国の施設が残ったにせよ、戦闘は生存者の余命を短縮しただけだった。
AIが選択したアルファnineは、今回の大戦による攻撃を受けていない。攻撃の意味がないほど辺境だし、そもそも棄星だ。入植後、開拓民の短命化が問題になり、百年前に設備ごと廃棄されたのだ。だが、撤退時にはほとんどの人々が残留を希望したという。以後、地球との往来は途絶えたままだ。
「棄てられた惑星へ行くのか……いやな予感がする」ボブは気乗りしないようすだ。
「何もしなければ、宇宙船の中で死ぬだけだ。行こう」デレクは声を強めて言った。
目的地までの遥かな旅にはワープ航行が必須になる。そして、稀少なワープ航行機関をアクエリアスは搭載していた。
到着までの船内経過時間は二年。船外ではウラシマ効果により十年近い時が過ぎる。
コックピットに重苦しい沈黙が降りた。ワープは時代との訣別を意味する。帰ることがあるとすれば、そこは五倍の歳月が過ぎた世界だ。たとえ地球で誰一人待つ者がいないにしても……
燃料消費を抑えるために鉱石コンテナが切り離された。乗員は服薬等の準備を済ませ、人工冬眠の睡眠槽に各々躰を横たえた。
アクエリアス号はアルファnineに向けワープ航行に入った――
待っている未来がどんなものであろうと、この時点での死を彼らは回避した。アクエリアスが現宇宙から光速の彼方に去った十数分後、自動報復システムによって照準されたミサイルが、残された鉱石コンテナを直撃した。永きにわたり人類に君臨した〈破壊と殺戮の神〉は、幕が下りた後のアンコールのように、死に絶えた宇宙でもう一度暴虐の花火を咲かせた。
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