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わたくし、『隠れ家風古民家喫茶 鍵のない箱』と申します。
隠れ家風、というのは、飲食店たるもの、完全に隠れていてはお客様に来てもらえないため。
古民家喫茶、というのは、築九十年の民家であるわたくしを改装して喫茶店にしたため。
鍵のない箱、という店名については、これからお話しいたします。
わたくしはA県の、県庁所在地から車で一時間ほどの場所にございます。
海と山に囲まれた、のどかな町です。
派手さはありませんが、歴史ある神社が観光客に人気があり、わたくしのところにも、お詣りのついでにと遠くからのお客様が来てくれます。
先ほども申しましたが、わたくしは築九十年。
築浅の頃のことはあまり覚えておりません。
人間だって、生まれたての頃の記憶はあまりないものでしょう。
築十年ほどの頃は、親子三世代、十二人家族が住んでおりました。
祖父母、父母、長男夫婦とその子供、次男夫婦とその子供という家族構成でした。
やがて次男夫婦は別に家を構えて出て行きました。
あまり、兄弟仲がよろしくなかったので。
祖父母が順番に亡くなり、戸主が長男となり、長男の子供たちは成長して家を出ました。
その後は、夫婦二人の暮らしが長かったように思います。
わたくしのことも大切にしてくれましたよ。
奥様は、廊下を雑巾掛けするのがお上手でした。
庭の手入れは苦手なようで、専門の業者に任せきりでしたけど。
年に一度庭師を入れて、綺麗になったお庭を縁側から眺めておりました。
奥様がお亡くなりになって、男の一人暮らしは心配だからと、子供の家に引っ越して行きました。
それ以来わたくしはずっと、残された家具や思い出の品を守ってきたのです。
雨の日も風の日も、嵐の夜も。
あれから何年経ったのでしょう。
雨漏りを直してもらうことも、庭の手入れを頼むことも、縁側の雑巾掛けをしてもらうこともできないまま、わたくしは朽ちていくのかと思っておりました。
月の明るい夜のことです。
見知らぬ男が、玄関の引き戸に、錆びた鍵を突っ込んだのです。
ですが、玄関は開きませんでした。
男は諦めず、今度は勝手口にまわりました。
同じ鍵を挿すと、今度は鍵が開きました。
わたくしは悲鳴をあげることが出来ないので、ただガタガタと窓枠を震わせて、電灯を手に土足で入り込んでくる男をじいっと観察しました。
男は二階に上がり、物置をあけ、一回り中を伺いました。
そして、そこにある思い出の品の中から、一つの箱に灯りを留めました。
それは亡くなった奥様のお嫁入り道具で、代々受け継がれてきた長持です。
長持というのは、お着物などを仕舞うための箱のことです。
男は長持を開けようとしましたが、鍵がなく、開くことはありませんでした。
わたくしも、鍵のありかは存じ上げないのです。
次に目をつけたのは桐の箪笥。
これも奥様のお嫁入り道具です。
男は一番下の段を引き出しました。
中身は、子供の七五三の時のお着物です。
そして、箪笥の奥に手を入れて、なにかを隠した様子です。
下から二段も、同じように引き出して、奥に手を突っ込み、下から三段目、四段目、とすべての引き出しの後ろ側に何かを隠したのです。
引き出しを戻すと、そこに何かが隠れているとはわかりません。
あまり大きなものではなさそうです。
一番上の段に、奥様が愛用していた真珠のネックレスが残っていました。
男はそれをポケットに入れ、階段を下りると、また勝手口から出て行きました。
鍵を持っていたのだから、家を出た長男の子供か孫なのでしょう。
長男家族は、数年前までお盆の時期に家族で仏壇に手を合わせてくれたものですが、それもすっかりなくなりました。
暗くて顔は見えませんでした。
それからまた、年月が過ぎました。
わたくしはすっかり、雨漏りにも、草ぼうぼうの庭にも、埃の積もった縁側にも慣れてしまっておりました。
ある晴れた日のことです。
男が二人と女が一人、わたくしの元にやってきました。
「家の中の物もそのままですし、見ての通りボロボロですよ」
なんて失礼な。
家の中の物は大切な思い出ですし、ボロボロというほどでもありません。
少し手入れが行き届いていないだけです。
男の一人は不動産屋で、男と女は客でした。
わたくしは知らない間に、売りに出されていたのです。
「建物自体は格安ですが、手数料はかかります」
「大丈夫です」
客の男が答えて、わたくしは、この男のものになってしまいました。
ああ、大切に守ってきた思い出の家具たちは捨てられて、わたくしも取り壊されてしまうに違いありません。
わたくしが震え上がると、傷んだ壁や柱もピシピシと鳴りました。
男はまず、一階に取り残されていた食器や家具、仏壇を運び出しました。
わたくしに住んでいた家族の写真がどこかへ行ってしまい、悲しくなりましたが、泣くと雨漏りがするので泣けません。
そしてお台所を全部とっかえて、新品のぴかぴかした立派な冷蔵庫も入りました。
畳も全部剥がして板を貼り、壁も壊して部屋を広々とさせ、庭も業者を呼んですっきりとさせ、そこにテーブルを並べたのです。
男は庭師に、あれこれと注文をつけ、自分もせっせと草を抜き、硬い土を掘り返しました。
「お宅、変わってるね。こんなに古い家を買うなんて」
庭師が男に話しかけました。
「いやいや、この古さが良いんですよ。夫婦で古民家喫茶をやるのが夢だったんです」
男は額の汗を拭きながら言いました。
そこに、女が冷たいお茶を持ってきます。
「縁側にもテーブルを置きましょう。庭を眺めながらコーヒーを飲むのよ」
女がそう言うと、庭師は感心したように目を丸くします。
「そりゃあいい。きっと大評判になりますよ」
わたくしは、二人が喫茶店を始める夫婦だったのかと気がつき、思い出は大切だけども、新しい時代が来たのかもしれないとわくわくしました。
一階がすっかり綺麗になった、ある日の夕方のことです。
二人は階段を軋ませながら二階へと上がってきました。
二階は寝室と客間でしたから、あまり物は残っていません。
古い布団などは、早いうちに運び出されました。
一階と同じように床と壁を綺麗にしたので、ここで生活もできるでしょう。
手付かずだった物置に、長持と、桐の箪笥があります。
そこだけは雨漏りもせず、壁も崩れず、今まで守ることが出来たのです。
でも、このひとたちは、どうするでしょう。
ここで生活するのなら、きっと、古い家具は邪魔だと捨ててしまう。
それが、わたくしがずっと守ってきた思い出でも。
「ねえ、本当にここなの?壁の中も床下も、庭を掘り返してもなかったのに」
「あとはこの中しかない。絶対にあるはずだ」
二人が話し合っています。
「やっぱり信じられないわ。時効が成立している横領事件の犯人が、親の実家に盗んだ金を隠したなんて」
女の声に、わたくしは、あの月夜のことを思い出しました。
あの男は、やはり、この家を出た長男の子供の、さらに子供だったのです。
その二人は、それを知ってわたくしを手に入れ、壁や床や庭を直している振りをして、探し物をしていたのです。
そして、その金は、今、二人の前にある、桐の箪笥の奥に隠されているのです。
二人はまず、桐の箪笥を上から順番に開けていきました。
着物や帳面、アルバムなどを出して、中身を空にして、何もないことを確かめると、また元に戻していきます。
埃が舞って、二人は咳やくしゃみを繰り返しました。
でも、引き出しの奥にまで、手を入れることはありません。
わたくしはハラハラして、思わずミシミシと家鳴りをしてしまいました。
一番下の段を開けて、子供の七五三の着物を出して、着物の間に何か挟まっていないかと探しました。
そこには家族の思い出以外、何もないのです。
二人は鼻をすすりながら、今度は長持を開けようとしました。
でも、鍵がありません。
そして、その中には、探しているものはないのです。
うんうんと長持を開けようとしていた二人はやがて諦め、アルバムや帳面を戻すと、着物を抱えて降りて行きました。
それからしばらく後、わたくしは「鍵のない箱」と名付けられ、古民家喫茶として連日お客様を迎えております。
不純な目的でわたくしを手に入れたはずの二人ですが、これだけ綺麗にしておきながら早々に売り出すと不審がられる、という理由でそのまま喫茶店を始め、思った以上の人気となりました。
若いお客様には、わたくしの古めかしさが心地よいのだそうです。
店名の由来となったのは、あの長持です。
いつの日か、鍵を開けられる人が来てくれるようにと玄関脇に置かれました。
いっぽう、空になった桐の箪笥は、その奥にお金を隠したまま、今でも、物置の中なのです。
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