2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
ホームルーム前の騒がしい教室。隣の席に座っているのは、数ヶ月前に転校してきた、愛想のいい、人畜無害そうな子。確か、家の事情でこっち来たんだっけ?酷く微妙な時期に来たことだけははっきりと覚えている。そういえば、友達とつるんでるの見たことないな…。
なんて考えながら、ぼーっと席に座っている彼を見ていると、
「聞く?」
と、イヤホンの片方を差し出してくれた。どうやら音楽を聴いていたみたい。
「うん。」
頷いきながら、イヤホンを受け取って耳にはめる。その途端、
「!?っ」
反射的にイヤホンを外してしまった。何がかかっているのか分からないけど、とても大きな音だった。耳が痛い……。
「よくこんな音でヘイキだね…。」
「ん。でもこうすれば、なんも聞こえへんから。」
そう言って、微笑む。笑うより微笑んだその顔は酷く悲しそうで。とても、「耳が悪くなるからやめなよ。」なんて言えなかった。イヤホンを返すと再びはめた彼の表情は、ぼーっとしていると言うより、虚ろのようだった。
その事があってから何となく、その子を目で追ったり、話しかけるようになった。話しかけるって言っても、挨拶くらいだったけど。私が声をかければ、にこっと穏やかそうに笑って、一言返してくれる。素っ気ないのに、乱暴な気はしない。それが心地よくて、見るとつい声をかけてしまう。
見ていてわかったのは、やっぱり友達はいないこと。1人で本を読んでることが多くて、いつもイヤホンをつけてること。人が少ないところが好きなこと。川江涼晴っていう涼しげな名前なこと。大きく笑うと八重歯が見えること。独り言が意外と多いこと。部活には入ってないこと。私と家が近いこと。
「涼晴くん。」
放課後、勢いの良い男子が教室から駆け出した頃に話しかける。帰る準備を終わらせ、人がいなくなるのを待つように本を広げていた彼は、少し驚いたように顔をあげた。
「ん?なんや?ええと……。」
「鈴華。一緒に帰ろ。」
「……ええよ。」
不思議そうな目をしながらも頷いてくれた彼に、ありがと、って返すとやっぱりにこって笑ってくれた。
本に栞を挟んで、大事そうにカバンに入れると、ゆっくりと席を立った。私も鞄を持って教室から出る。
青春を散りばめた騒がしい廊下を早足で抜けて、下駄箱へと急ぐ。そういえば履いてるの靴じゃん。じゃあ靴箱かな?どうでもいいことを考えながら靴を履き、校庭を横切って校門をくぐる。
熱気の籠った学校から抜け出すと、涼しい風が吹き抜けた。ふぅ。深呼吸すると、
「鈴華さん、はやない?」
「そうでもないと思うけど。」
後ろから小走りに駆け寄ってきた彼が、驚いたように言った。
「あれだよ。学校から、早く出たかった。」
「……そうなんか。」
「うん。」
答えてからもう一度深呼吸して、家のほうへと歩き出した。彼はしばらく黙ってついてきていたが、そのうち耐え切れなくなったように口を開いた。
「なんか、悩み事でもあるん?」
「ふぇ?」
思ってもみなかった言葉に戸惑いながら振り向いた私を見て、彼は慌てたように弁明した。
「あ、や、あのな?さっき、学校から早く出たかった言うてたから…」
「そういう日ってあるじゃん。学校から出たくない日もある。」
普通のことを言ったはずなのに、彼は少し不思議そうな顔をしてから、大きく笑った。ちらりと覗く八重歯。この顔好き。じっと見てると、
「あ、ごめんな。別に馬鹿にしたわけやないんや。なんか、鈴華さんって、おもろいな。自由そうっていうか。」
「ん。よく言われる。」
ふふっ、とまだ笑っている彼に、今度は私が質問する。
「涼清くん、なんで引っ越してきたの?家の事情って聞いたけど。」
彼の表情が、固まった。でも直ぐに、いつものようににこっと笑った。
「親の事情。」
「転勤族?」
「そーゆーわけやないけど。」
「へー。なんか、引越し慣れしてそうだよね、涼晴くん。あんま人と関わんないのとか。一線引いてる感じが。」
「あ、ばれとった?」
「うん。何となく思ってた。」
「母さんがな、引越ししたがるんや。」
「へぇ?
「別に俺は、引越し好きやないんだけど。」
「ふぅん。なんでお母さんそんなに引っ越し好きなんだろうね。」
「……。」
彼が黙ったので、私も何となく黙った。
「好きなわけじゃ、ないんやろうけどな。」
「ん?」
少しして、口を開いた彼は、独り言のように続けた。小さな声は誰に伝える気も無いように、地面へと落とされた。
「しょうがないんや。俺のためを思ってやっとるんやと思う。」
「俺は、別にええのに。」
「自分の親の罪なんやから。」
「親の罪…?」
私の声で現実に戻った彼は、顔を一気に青くした。
「今、俺何言った…?」
言いながら固まっていた彼は、やがて笑いだした。
「……涼晴くん、怖い。」
「あ、すまん。何でやろうな?鈴華さんの前やと、要らんこと口に出ちゃう。」
笑いすぎたせいで出てきた涙を拭いながら、不思議そうに言う。
「さあ、なんでだろ。」
首を傾げながら、私は答える。
「それで、親の罪ってなんなの?」
彼が再び固まる。答えたくないんだろうな。わかっていながらも、聞いてしまう私は酷い奴なのかもしれない。
「人間、いつ死ぬのかわかんないでしょ?それなら興味のあることは全部知りたいの。」
頭の隅で自分の罪を自覚しながらも、彼に詰め寄る。
立ち止まって黙った彼は、やがて小さく口を開いた。
「こっち来てから、もう4ヶ月やっけ?」
「ん?……んー、そのくらいかも。」
「結構長い方やな…。」
「そうなの?」
「うん。潮時ってやつなんかなぁ。」
穏やかに話す彼の顔には、笑みが浮かんでいた。自分を嘲笑うような笑み。
「俺の父さんな、」
小さく息を吸って、話し始めた彼の声は、抑えきれない震えが滲んでいた。
「人殺しなんや。」
何も言わずに小さく頷いて、続きを促す。
「会社の社長夫婦を刺した。俺と同じくらいの子供もその場におったらしい。」
「でもな、本当かわからん。父さんは否認しとる。俺は、父さんを信じたい。」
「……そっか。」
「母さんも、信じとるはずなんや。それでも、周りの目が気になるんやって。引越し繰り返しとる。」
「……。」
話し終わった彼の顔は、今にも泣きそうだった。何を言えばいいのかわからなかった。だから、
「話してくれてありがとう。」
「ん、……うん。」
泣きそうな声で、なんとか頷いた彼は、少し強引に目を拭って、笑顔を作った。
「その反応初めてや。みんな気まずそうな顔しよるのに。」
「そう?」
笑いながらまた頷いた彼は、歩き出した。私も歩き出す。
「あーあ、言っちゃった。」
そう言いながらも、彼の顔は少し嬉しそうだった。
「そういや、鈴華さんの家どこなん?俺の家、そこのどんつき左のとこなんやけど。」
「ん、私の家は、もうちょい前。」
「そうなんや。てか、すまん。どんつきの意味わかった?」
「うん。」
「鈴華さんって、もしかして関西住んでたりしたん?」
「なんで?」
「いや、冗談や。でも、伝わったの普通に驚いた。」
「昔大阪住んでたの。」
「え、ほんま?」
「うん。ほんと小さい頃だけどね。今は親戚の家に住んでる。」
「そうなんや。」
私と違って大人な彼は、それ以上何も聞かなかった。
「じゃあ、私の家ここだから。」
「ここなんや。結構近いんやね。」
「うん。じゃあね、ばいばい。」
手を振ると、彼はにこっと笑って、ほななと手を振り返してくれた。
「ただいま。」
家に帰ってすぐ、居間の仏壇の前に座り、手を合わせた。
両親は10年前、大阪で殺された。私もそこにいた。犯人の顔は覚えていないけど。捕まった犯人は、今も容疑を否認してるらしい。
だけど、そんなの彼には関係ない。だから、
「隠しとこっと。」
呟きながら立ち上がり、鞄を開いて、図書館で借りた、期限の近い本を読み始める。明日、彼と図書館にでも行こっかな。
最初のコメントを投稿しよう!