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第二話 隠しごと
「明佳はそれで、どうしたいの?」
部活の時間、花島先生は私が作っているつけ爪を見つめながら訊いた。
「どうしたいって、なにが?」
「だから、お母さんとのこと。どうしたいの? どうせまともに口きいてないんでしょ?」
「どうしたいって……どうもしたくないよ」
私はエメラルドグリーンのマニキュアをつけ爪に塗りながら答えた。美術部でつけ爪を作っているのは私だけ。これもママから爪を噛んでしまう癖をやめるかわりに作っていいと言われたからやっている。ストレスで爪を噛んでしまって半分くらいしかないのを心理相談の先生に危険だって助言されたから、仕方なく認めたことだった。
「でもさ、明佳はつらいんでしょ? それってよくないよ。明佳にとっても、お母さんにとっても」
花島先生はなおも話を続けてくる。私はそんな話をしたくない。
せっかく楽しく爪を作っているのに、あの人の顔なんて思い出したくもない。
だって泣きたくなるから。
どうしようもなく情けなくなって、声をあげて泣きたくなってしまうから。
だけどここは金魚鉢のなかじゃなくて海だから、私は爪に集中してママの顔を頭の外へ追い出した。
「言わなきゃわからないことっていっぱいあるんだよ。特に明佳は素直じゃないから、自分の本当の思いを隠すじゃない? でもさ、それっていいことばっかりじゃないんだよ? 誤解だってたくさん生むし、すれ違ってばっかりじゃ疲れちゃうじゃん?」
花島先生は言いながら、私にチョコポッキーを差し出した。私はマニキュアを置いて、ポッキーを手に取った。口に入れるとちょっと苦みのある大人な味が広がる。
花島先生はちょっと変わっている。他の先生に比べるとすごく自由。背中に羽が生えているみたいにふわふわしていて、私は花島先生といると楽に息が吸える。まるで大海の中の小さなサンゴの家みたいに、私のことを優しく包んでくれるから。
「言っても無駄だから言わない」
「なんで?」
「だって、ママは私のことが嫌いだから」
「はあ?」
花島先生はコリコリと頭を掻いた。困ったように笑って「そっか」とそれきり黙ってしまった。
そう。ママは私のことが嫌い。いつだって私を修正しようとする。本物の私はそうじゃないのに、違うメガネで私を見て『足りない』ってつけ足そうとばかりする。
私はそうじゃないのに。違うのに。
必死にあがいて、手足をばたつかせてもがいているのに、足りないループからぜんぜん抜け出せなくて、ボロボロになってしまっている。
「ねえ、明佳。それじゃあカード占いどう? 興味ある?」
「占い?」
「うん。明佳のこと、占ってあげようか?」
花島先生はニコニコしながら私にカードを見せた。美術室に置いてある普通のカラーカードだ。それで先生は占いをすると言った。こういうときの提案は大抵拒否権がない。先生は占いたい。私はどっちでもいい。だからやることになる。それだけだ。
「どうせやりたいんでしょ?」
「ご名答~」
はあ――
とため息を吐いた私の目の前で、花島先生は白い紙に黒のマジックで大きな三角形を描いた。それから私の前に12枚のカラーカードを並べると、好きな色を3枚選んでと言った。
「3枚選んだら、一番はじめに置くのは左側。次に右。最後に頂点だよ?」
私は言われた通りに12枚のカードから3枚を選んで、紙に書かれた三角形の左角、右角、頂点に置いていく。
先生はその間、黙って私をじっと見ていた。
「できたよ」
「どれどれ……」
先生が身を乗り出すようにしてカードを見る。
私が選んだカードは左が『水色』、右側が『黄色』、そして頂点が『淡いピンク』だ。
先生はまず左側の水色のカードに指を置くと「これは明佳の基本的な性格」と言った。
「私の性格? なにそれ?」
「この占いは明佳の性格、現在の心理状態、未来になにを望むかを占うものでね。左側は性格、右側は現在、頂点は未来を意味するの。基本性格に水色を選んだ明佳は自由な発想ができるクリエイティブ系ね。直観力に優れていて、アイデアが豊富。だけど飽きっぽいのがたまに傷。どう? 当たってるでしょ?」
「まあ……そうかも」
「ほらね。ちなみにリラックスしたいときは青い色に目を奪われないかな?」
そう言われて思い出したのはイルカのウィンドチャイムだった。たしかに気持ちを落ち着かせたいとき、私はあれをよく触っている。
「じゃあ、次は黄色かあ。これはねえ、ちょっと頭痛くなったわ、先生。ヤバい色すぎて」
「え!? どういうこと!?」
「黄色はねえ、太陽みたいな色で明るいよね? 強い希望を抱いているときに目に付く色なの。でもね、色の力が強いだけに危険を表すものでもあるの。ほら、踏切りとか立ち入り禁止のサインとか。あとは蜂とかさ。自分のほうを振り向いてほしい、甘えたい気持ちが強いときってね、黄色を選んでしまいがちなんです」
花島先生の話を聞いてしまったら、まともに顔を見返せなくなった。目が泳ぐ。なんと言い返していいものやら、心が落ち着かなくて、手のひらが急に汗ばんできた。
それでも先生は説明をやめなかった。「明佳が望むこと」と続けた。
「優しい気持ちでいたい、かな?」
「なんでそこは疑問形?」
「ん? だってこれは未来に望むことで、明佳が胸の中に隠した大事な気持ちだからさ。そこ、ハッキリとは言えないよ。だから、確認?」
先生はほほを緩めて首をかしげた。
30歳もすぎていて、結婚だってしているのに、花島先生は年齢を感じさせないくらいに愛らしい。うちの鬼母とは天と地の差がある。
「先生が……ママだったらよかったのにな」
思わず口からこぼれ出てしまった言葉に、先生は眉尻を下げて笑った。
「あらあら、本当に憔悴しきっちゃってるね、明佳」
ふうっ――
花島先生はひとつ深く息を吐くと、私が選んだ淡いピンクのカードを差し出した。
「しばらく明佳にこれ、預けとく」
「学校の備品だよ?」
「カラーカードなんて誰も使わないし、要らなくなったら返してくれればいいから」
「でも、なんでピンク?」
「お守り。お母さんとケンカしたら、このカードを見て、心の中で『大好き』って10回唱えな。約束だよ。守らなかったら、部活動の参加は禁止します」
真剣な眼差しで言いきられてしまったら、飲まざるを得ない。
私はカードをポケットにしまい込むと、マニュキュアを手に取って再びつけ爪をぬり始めた。
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