第一話 疲れはてた魚

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第一話 疲れはてた魚

 今日また、母に怒られた。  叱られるんじゃなくて怒られる。ここが大事なところ。 「だから言っているじゃない。あんたのために言ってるのに!」  私はママの『だから』が嫌い。『だから』じゃないのに『だから』って言われると、背中の真ん中あたりからゾクゾクって寒いものが這い登ってくる。  それに『あんたのため』っていう殺し文句も大嫌い。その言葉を聞くたびに、ふわって奥歯が浮くような気持ち悪さに責め立てられる。  ママはいつも私に足りないって言う。私はママに言われるままをやっているつもりなのに、ダメ出しばかりがついてまわる。なんとかかんとか一個クリアすると、すぐに別のことが追加される。まるで永遠に続く鬼ごっこみたいで、私はほとほと疲れて果てていた。  それなのに、私はママに疲れていることを言えないまま、心にずっと隠し続けて持っている。走って、走って、『まだまだよ』って言われて走り続けて。  ゴールなんて見えなくて、つらくて、息ができなくて、しんどくて、やめたくて、立ちどまりたくなるのに、私は走ることをやめられない。  はあ――  ひとり、部屋に閉じこもって息を吐く。  この空間だけが私でいられる唯一の場所。  大きな海で泳がされて、やっと小さな金魚鉢に帰ってこられた魚の気分。  天井から吊り下げたウインドチャイムに手を伸ばす。  青いガラスのイルカが何匹も連なったチャイムに触れると、銀色の金属が流れ星が走るようなきれいな高音を響かせた。  その音が、耳にこびりついたママの発した不快な音をかき消していく。  汚染と浄化を繰り返して、私はまた海を泳ぐためのパワーを蓄える。  思春期なんて呼ばれるこの年はそうやって海の中を泳いでいかないといけないんだって、美術部の顧問である花島先生が言っていた。  中学一年生の半ばなんてちょうどそんな時期だって、花島先生は笑って言う。  小さな金魚鉢の中で大事に、大事に見守られていた魚は、ぽんっと海に放たれて、疲れてきって眠るんだって。  だから思春期は眠くなるもんなんだって言われたら、宿題もなにもやる気になんないよ。  はあ――    もう一度ため息を吐いてから、私はシャープを握りなおした。  机の上に取り出した英語の課題と数学の問題集を一瞥すると、すでに開いていた漢字書き取りのノートに向かい合った。
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