片想い

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  片想い  ゆい子  「いとこ」でさえ結婚できるんだから、「はとこ」なんて余裕!  私は小学五年生のとき、その事実を知った。明るい未来が開けたことを実感した。  私には十歳年上の「はとこ」がいる。近所に住んでいて、母親同士が仲がいいため、親戚づきあいというより、家族に近いつきあいを続けている。  「はとこ」のセイ君は私が物心ついたころからずっと私の憧れだった。整った顔立ちも、茶色がかった瞳も、長い手足も、細い体にきれいに筋肉がついているところも、なにもかも素敵だ。算数が苦手な私に、よく根気強く教えてくれた。  いつだろう、私はセイ君のことが本気で好きなんだとはっきりわかるようになった。憧れの優しいお兄さんではない。私は苦しい片想いをしていた。  私が十六の現在、セイ君は二十六、十八のとき二十八、二十のとき三十。  いくら考えても埋まらない年の差。しかし私が成人した年にセイ君はまだ三十。私が自分磨きを相当頑張って、大人びたきれいな十八になるとして、二年つきあって二十歳で結婚。セイ君だって三十くらいで結婚するのが、サラリーマン的には一番良い頃合いなんじゃないだろうか。 「菜々美、説明聞いてた?」 「あ・・・・ごめん」  ふう、とセイ君はため息をついて机の隣にある私のベッドへダイブした。  それだけでキュンキュンする。今夜、枕にセイ君の香りがついてるかも。 「なんでこんなに基礎解析がわからないんだろう。俺の説明が悪いのかな」 「そんなことないと思うけど」  私の部屋でセイ君と二人きりなんて、勉強どころじゃないだけです。 「菜々美、大学受験するんだよな?だったら高校一年でわからなくなるようじゃヤバいぞ」 「大学?」 「進学しないのか?」  驚いてセイ君は起き上がった。  進学なんて全然考えていなかった。考えていたのはセイ君との未来だけ。 「私、二十歳くらいで結婚するかもしれないし」 「は?」 「た、たとえば、だよ。セイ君くらい年上の人と結婚するとしたら、の話」 「いるの?十も年上の彼氏」  あ、気にしてくれた。嬉しい。 「いないよ。セイ君よりカッコいい男は私の周りにはいない」 「おだてても無駄。今日は基礎解析を理解できるまで、何時になっても帰らないよ。おばさんに頼まれてる」  えー、お母さん、グッジョブ! 「セイ君はさ、どんな女性が好きなの?」 「はあ?そんなことより数学やろうぜ」 「それ聞いたらちゃんとやるから」 「えー、どんな・・・・どんな・・・・えっと、ショートカットが似合ってて、首が細くて長くて、あとは聡明な人。そのくらいかな」  私は呆然とした。レベル高すぎない?首って今から長くなる?私、ショートカットにしたことないし。それに聡明って・・・・。あとで電子辞書で改めて意味を確認しよう。曖昧にしかわかっていない気がする。 「と、とりあえず私に今できることは・・・・」 「基礎解析だって言ってるだろ」  ダメだ、パニック。  幼い頃の記憶。  私は小学一年だったと思う。  授業参観に父も母も来られなくて、期末テスト中で、午前中で学校が終わるセイ君が来てくれたことがあった。  地元では天才しか入れないと評判の高校の制服を着て、誰もが認めるイケメンのセイ君は、教室の後ろに立つお母さん方をざわつかせた。  私は嬉しくて、何度も後ろを振り返った。しかしセイ君はギリシャ彫刻のような彫りの深い顔をピクリとも動かさなかった。  授業のあとの保護者会のあいだ、私は校庭で遊びながらセイ君を待つことにした。  友達数人が鉄棒で遊んでいたので、「入れて」と明るく言い、仲間に入ろうとしたら、友達はなにも言わずにジャングルジムに移動した。私は不穏な空気にすぐ気づいたが、私がなにかした心当たりがなかったので、ついていった。  するとリーダー的存在の華音ちゃんが 「菜々美ちゃんはダメ」 と言った。  私達の年代はこうしたことに幼いうちから敏感だった。すでにスクールカーストという言葉を知っていたし、いじめが始まるきっかけはこんなことからだった。  私は頭が真っ白になった。 「な、なんで・・・・」 「菜々美ちゃんはカッコいい高校生に来てもらってずるい。どうせ自慢したくて来てもらったんでしょ」 「自慢なんて」 「だって何回も振り返ってニコニコしてたじゃん」  どうしよう。華音ちゃんがいじめの標的を決めたら、全員従わなければならない。 「菜々美?」  立ち尽くしている私に声をかけたのはセイ君だった。 「帰るぞ」 「でも・・・・」  言えない。セイ君に言いつけたら私へのいじめはひどくなる。  セイ君は青ざめた私を一瞥すると、華音ちゃんとその取り巻き数人に近づき、華音ちゃんの前で膝をつき、目線を合わせた。 「華音ちゃん、かわいい名前だ。華音ちゃんが本当はすごく心が優しい子だって、顔を見ればわかるよ」  セイ君は聞いたことがないほど穏やかな、包み込むような話し方で、華音ちゃんにそう言った。  華音ちゃんはなにも言い返せなかった。  セイ君は立ち上がると膝に付着した砂を払い、私の手を取り、スタスタと校門を出た。  帰り道、セイ君は言った。 「相手が理不尽なことで怒りを露にしたときは、『本当はあなたはいい人だ』ってとりあえず言っとけ。最近読んだ自己啓発本に書いてあった」  セイ君の言っていることはこのときはよくわからなかったが、私はセイ君のおかげで華音ちゃんのいじめの対象にならずに済んだ。 「なんで華音ちゃんの名前、知ってたの?」 「名札、つけてるだろ、みんな」  それだけのことなのに、幼かった私は感心してしまった。  そんなふうにセイ君はずっと私のそばにいてくれて、私を守ってくれる存在だと信じていた。  夏の終わり、セイ君が婚約者を連れてきた。  母は家の中にあがるように勧めたが 「今日は時間がないから紹介だけ」 とセイ君が言って、玄関で立ち話だけした。  私はたまたまキッチンで夕飯の手伝いをしていたので、母に呼ばれて、玄関で挨拶する羽目になった。  若月ひかる、と名乗った女性を見て、あっと思った。  ショートカットが似合って、首が細くて長くて、聡明な人。  セイ君はあのとき、ひかるさんを思い浮かべて理想の人を言ったんだ。すでにあのとき、セイ君はひかるさんが好きだったんだ。  私は胃の辺りがどんどん冷たくなるのを感じていた。  セイ君の結婚式に出席するために、かわいいワンピースを買ってこい、と丸井に連れて行かれたのは、それからひと月後のことだ。  私はすっかり痩せ細り、生気を失っていた。母だけがなんとなく原因を察していたようだが、父も親戚も学校の友達も、そしてセイ君も、ダイエットでもしたのだろう、くらいに思っていた。  丸井の入口で母と別れ、お会計になったら母の携帯電話に電話をすることになっていた。  私は一人でぶらぶらと各階のお店を見てまわったが、まったく気分が乗らなかった。  よりにもよってセイ君の結婚式に着飾る服って・・・・。結婚式は欠席しよ。あー、なんか理由つけなきゃ。  私は三階にあるスターバックスに入り、一番安いコーヒーを買った。  店内は珍しく客が少なかった。初めて一番奥の席でゆっくりできるかも、と奥に進んだら、そこは先客がいた。引き返そうとしたら 「菜々美ちゃん?」 と声をかけられた。  ひかるさんだった。  ひかるさんが悪役なわけでは決してないけれど、一番会いたくない人ではあった。ひかるさんとセイ君が出会っていなくても、セイ君が私を好きになってくれた可能性は低い。わかってる。わかっているんだけど、やはり、ひかるさんさえいなければ、と思ってしまう私の醜い心を隠したかった。 「良かったら座らない?」  ひかるさんは向かいの席を手の平で指した。指ではなく、手の平で指すしぐさを見て、聡明という言葉を思い出した。  頷いて向かい合わせに座ってみたものの、なにを話せばいいのかわからない。仕方なくコーヒーを啜った。 「ブラック?」 とひかるさんは訊いた。 「はい」 「大人なんだね」  私は本当はブラックコーヒーは好きではない。でもセイ君に少しでも大人の女性に見られたくて、わざとブラックコーヒーを飲んできた。 「菜々美ちゃん、やつれた?」  私はハッとした。痩せたね、と友達に言われたりはしたけれど、やつれた、と言った人はひかるさんだけだった。 「そうですね、たぶん・・・・」 「勘違いだったらごめんね。もしかして私のせい?」  ひかるさんの口調は優しかった。気遣ってくれている。本気で心配してくれている。 「ううん、自分のせい」  涙が溢れてきた。ダム決壊だ。 「心からお祝いできなくて、結婚式を欠席する理由を考えながらワンピースを買おうとしてる醜い自分がキモいだけ」  私は泣きながら一気にまくし立てた。  ひかるさんはうん、うん、と頷き、鞄からハンカチを出すと、私の手に握らせた。 「挨拶に伺った日、菜々美ちゃんのこわばった顔を見て、すぐにわかった。この子は彼を好きなんだって。」  私は嗚咽を漏らしながら、大きく頷いた。それしかできなかった。 「きっと私なんかよりずっとずっと長いあいだ、彼を好きだったのよね?二人には長い歴史や思い出があって、私が急に横から手を出しちゃったのよね。ごめんなさいね、そんなにやつれるほど彼が好きなのに」  私は何度も何度も首を振った。謝られるようなことじゃない。謝られたら私がみじめだ。 「菜々美ちゃん、私、絶対彼を幸せにする。彼のためならなんでもする。がんばる。菜々美ちゃんがそんなに好きな人と結婚するんだから」  言いながら、ひかるさんも泣き始めた。  今度は私が鞄からポケットティッシュを出して、ひかるさんに渡した。  ひとしきり、二人で頷いては泣き、コーヒーを啜っては泣くことを繰り返し、疲れてきた頃、眼が合って、フフッと笑い合った。 「私がセイ君を好きだったこと、内緒にしておいてもらえますか?」 と私は言った。 「かまわないけど、気持ちを伝えたいとは思わないの?」 「縁起でもないですけど、夫婦はもしかしたら離婚しちゃうかもしれませんよね。でもセイ君と私は兄妹みたいな関係の『はとこ』だから、ずっと壊れない。今のこの関係のままでいたいんです」  ひかるさんはにっこり笑った。この人、「かわいい」と「美人」が混ざった、魅力的な人だな、と私は思った。 「わかった。じゃあ菜々美ちゃんの気持ちと、今日ここでの出来事は、永遠に秘密ね」 「了解です。式の前から隠しごとのある夫婦にしちゃってすみません」 「あ、ホントだ。ヤバい」  ひかるさんは楽しそうにケラケラ笑った。  セイ君の目は確かだな、と私はちょっぴり寂しく、思った。
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