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 二年後。もしあの日、母がマンションに来なかったら私は自ら命を絶っていたに違いない。他人から見たら大げさだと言われるかもしれない。だけど、あの出来事は大事にすべきことだった。  決して一過性のものなんかじゃない。確かに形を成して現れた病。それはうつ病だった。母の勧めで精神科のある病院に受診したことで判明した。  初診では血液検査などの内科検診とカウンセリングのみだったが、検査では数値がどれも異常値に達していた。無理もないだろう。不規則な睡眠、少量の食事、あの頃の私は肉体的にも精神的にも不健康そのものだった。  後から知ったことだが産後うつは約10〜15%の人がなるそうだ。低い数字ではないと思う。病気が判明した後、義父母、両親、旦那と私でこれからどうするかが話し合われた。  議論の末、実家で咲姫を育てることになった。地元に行けば両親や親戚もいるので子育てをみんなで助け合えるだろうという理由で。旦那は父親としての責任感に苛まれ、義父母──特に義母は最後まで納得いかないという表情を浮かべていた。  ようやく二年経って、うつ病の症状が落ち着いてきて不慣れではあるができるようになったことが増えてきたように思える。それでも涙が止まらない日もある。消えてしまいたいと星に願うこともあった。  暗く鬱々としたとき、胸の中にそっとしまってある言葉を思い出す。あの日、母がくれた言葉だ。 『辛いときには助けてほしいって言っていいの。それは恥ずかしいことなんかじゃない。辛さや苦しさを一人で背負う必要なんてない。誰かを頼ることは甘えなんかじゃないの。 それに頼られることで迷惑だなんて思わない。だって私を必要としてくれている……とても嬉しいことなのよ』  涙は有り余るほど流したけど、このとき流れたのは悲しい涙なんかじゃない。嬉し涙だった。私の気持ちは間違いなんかじゃない。あなたは悪くない。やっと自分を認めてもらえた気がしたのだ。  一人で頑張ることよりも、助けてほしいと叫ぶ勇気が私には足りなかった。その結果自分を自分で苦しめ続けた。何度も何度も悩んだ。これからも悩むのだろうと思う。  でも、今こうして隣で咲姫が笑っていることで私は幸せなのだ。
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