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激しく項垂れる私の前に、ふと影が落ちる。ハッとし顔を上げると、一翠が目の前に立ちこちらを見下ろしていた。
「もちろん、ただで手伝ってもらいたいとは思っていない。これはちゃんとした仕事だ。働いた分は、しっかりと報酬を出す。そちら側の言葉で言うなら……アルバイトってところか」
アルバイトという単語に私はぴくりと反応した。私はついさっきまで、どこで働こうかと考えていたのだ。もしもこれを受け入れればアルバイトを探す手間が省ける。きっと今すぐにでも働くことができる。ならいいことじゃないか。そう思ったがすぐに冷静になった。
アルバイト、と言っても、相手はあやかしだ。人間じゃあない。信用なんてできるわけがないし、何かあった時助けてくれる人もいない。そんな危険な所にわざわざ自分で飛び込んでいくなんて、いくらなんでも無謀すぎる。
「不利益なことを考えているのか?」
「え……」
再度顔を上げると、一翠とばちりと目が合った。まっすぐとこちらを見る瞳に、なぜだか視線を逸らすことができない。
「俺たちはあやかしで、自分にとっては得体の知れないもの。信用するにはいささか難しすぎる、と。確かに俺たちあやかしと人間は、住む世界も考えていることも全く違う。正直人間のことをよく思っていない者たちも、ここにはいる。だが、領主として俺はどうしてもここに住む者たちを守らなければならない。だからどんな者であろうと、共にここを救おうと懸命になってくれるのであれば、俺は必ずその者を守る。人間もあやかしも関係ない」
まっすぐな言葉を受け、私はたじろいだ。きっと今の言葉に嘘偽りはないだろう。それは言葉だけでなく、目や表情からも見てとれた。
黙っている私に向かって、風地が一歩近づく。
「僕からも、再度お願いします。どうか、力を貸してください」
「私は……」
胸元でぎゅっと拳を握る。誰かが幸せになるのを見ることは、こんなにも嬉しいものなのだと、ついさっき知ることができた。あの女の人の心からの笑顔に、逆に自分が救われた気もした。これからもそうやって笑顔になる人たちを増やせたら、私の力が少しでも役に立てるならって、そう思ったんだ。
「……報酬って、もちろんお金だよね? ちゃんと人間の世界で使える」
「それが望みなら、こちらでちゃんと用意する」
「と、言うことは……」
風地の目が見開いていく。
「……私なりに頑張ってはみるけど、あまり期待はしないでほしいかな」
「い、一翠様」
風地は嬉しさを押し殺すように一翠の顔を見る。
一翠は私に向かって手のひらを差し出すと、小さく笑って言った。
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