午前0時のシンデレラ

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午前0時のシンデレラ

 どこかで、と言い出す男は大抵あてがあるもの。  少し歩いて大きな通りに出ると、すっかり灯りが消えたビルの正面の階段を降り、地下にあるバーへと向かった。 「さすがにもうお腹はいっぱいですよね。何を飲みます?」  と、声をかけられ、ドリンクリストを渡されるも、目がすべる。緊張しているせいだ。 「何がいいんでしょう……」  薄暗い店内で、カウンターに並んで座っているという状況がすでに落ち着かなすぎる。  ほんのわずかに、一瞬触れる程度に肩を寄せてきた湛が、ドリンクリストを横から覗き込みながら笑いを含んだ声で言った。 「男に選ばせていいんですか?」 (それって……っ)  一瞬で想像してしまった。それって、つまり、「潰しちゃうけどいいの?」なんて意味では、と。  あわあわと動揺するだけで、声も出ない。 「苦手なものはありますか。飲めないものとか」 「なにも……」  からからに干上がった喉で、かろうじて告げる。  そもそも和嘉那は普段、山奥で一人暮らしということもあり、いざというときに車に乗れなければ死活問題なので、酒を飲む習慣が一切ない。嫌いなわけではないが、詳しくもない。こういう場に来ることもこれまでの人生でほぼない。振舞い方がわからない。  もはやどうにでもしてくださいと青息吐息の和嘉那をさておいて、湛はカウンター奥の店員に声をかけた。 「モヒートとシャーリーテンプルで」  なんか頼んでくれた。  たぶんきっと飲めるものなんだろう。  小さな銀の皿に盛られたナッツを摘みつつ、カクテルが届くとやけに喉が渇いていたのでくいっといっきに半分くらい飲んでしまう。 (甘い)  湛はミントの葉を浮かばせた、見た目にもすっきりしたカクテルを飲んでいる。 「これ美味しいですね。飲みやすいです」  和嘉那が自分の分を飲みながら声をかけると、湛に面白そうな目を向けられてしまった。 「お酒あまり強くないのかなと。少し赤くなってますし」 (うわ~~、それはなんかもう感情が滅茶苦茶になっているだけです~~)  単に血が上って赤くなってるだけなんです、と思いつつも、今の発言を聞くに弱いお酒を頼んでくれたらしいということはわかった。 「ありがとうございます。普段はそんなに弱いつもりもないんですけど、久しぶりに飲んだからかな」  思わず自分の額や頬を手で触って熱を確かめつつ、和嘉那はそれだけ言う。  湛は声もなく笑って「すぐ飲み終わりそうですね。同じのがいいですか。それとも、違うのも飲んでみます?」と微妙に近い位置から聞いて来る。  近いのは椅子の配置のせいだとわかっているのだが、和嘉那を落ち着かなくさせるには十分な距離で、またもや心臓がびくりと跳ねる。 「違うのも、飲んでみたいです」  自分で自分にがっくりくるくらい、子どもみたいに答えてしまった。  湛は気にならないのか「そう。じゃあ次は『シンデレラ』かな」と何気ない口調で言った。 「そんな可愛い名前のカクテルあるんですね」  ドリンクリストを見ることなく、さらっと言うのが様になっていて、それだけでもドキドキしてしまうというのに。 「そうですね。シンデレラの0時までには家に帰りつくようにお送りしますので、ご安心を」  答えた湛のそつのなさに、落胆はみせないようになんとか笑ってみた。 (一人でのぼせ上ってた~~。そうだよね。出会ったその日に、なんてそういうタイプじゃないよね。ましてや行きつけのレストランの関係者で、シェフの姉なんて聞いたら、後腐れありまくりだし。簡単に手を出そうなんて思わないよ)  和嘉那自身、これまで「一夜限りの」などという関係を持ったことなど一度もない。それどころか、男性と関係を持ったこと自体がない。  ただ、この時は、少しばかり気持ちが焦っていたのだ。 (……好き)  どうしようもなく。  一目で惹きつけられて、食事して会話してその時点で落ちていたというのに。「紫陽花」と「ずっと会いたかった和かなのお客様」という追加情報が出てきてしまい。  落ちるところまで落ちてしまった。それはもう見事に、あっという間に。  普段「抱かれたい男」なんて口に出すだけでも恥ずかしいし、気の置けない友達とすらそんな露骨な会話などしたことがないのに。  遊びでもなんでもいい。「帰したくない」と言われたら、意思のない生き物みたいについて行ってしまうところだった。処女だとか、避妊がとか、そういうこと何も考えられないくらいのどうしようもなさで、身を任せてしまいたくて。  危なかった。  家に帰すと確約してくれて、良かった。 「花をモチーフにされていることが多いですよね」  不意に、湛が耳に甘く響く声で話し始めた。 「『海の星』の料理って、少し不思議なんですけど、和食寄りのときもあるし、フレンチみたいなときもあるし。コースで見るとぴたっとハマってくるんですけど『岩清水由春の料理』と言い表すしかできない構成だなと。今日なんか、まさか『ひっつみ汁』が入ると思わなかった。あんなに出汁を丁寧にとったひっつみ、初めてでした」  思い出したように、クスッと笑う。  確かに今日のコースは、和食というか、郷土料理からイメージを得ているようなものが多かった。湛が招く予定だった相手が、高齢かつ遠方の知人ということもあるのかもしれない。 「その料理に、『和かな』のお皿がすごく合うんです。和食の凝った器と、洋食のシンプルな白の食器のどちらの良さも持っている。水彩画のような花の絵が本当に綺麗で、こんなにシェフの創造力に寄り添う器をよく見つけてきたな、なんて一目見たときから惹かれていました。『和かな』に」  切切とした語りは、聞いているだけで、胸がしめつけられるほど優しい。 (「和かな」の話をしているのはわかるんだけど……。「和嘉那」って言われているみたいで)  膝の上できゅっと拳を握りしめる。  自分であって、自分ではない「作者」に向けられる賛辞に溺れないようにしようと。 「ありがとうございます……」 「自分も仕事で『花』をモチーフにすることは多いんですけど、『和かな』を見るたびに、自分だったらこの花はどういう表現になるんだろうか、と考えることも多いです。どうしても一人で静かに眺めてみたくなり、『海の星』での販売をお願いしたんですけど……。作品ありきだったので、作者さんのことを知るのに躊躇いがあって、敢えて聞かないようにしていたんです。今日、お名前を聞くまで、全然考えもしませんでした」  カランと氷の音を立てて、湛がモヒートのグラスに唇を寄せて傾けていた。  灯りの乏しい店内に、色の白い肌が幻想的に映える。  女性的であるわけではなく、絶世の美青年というわけでもないのだが、指の先まで仕草のすべてが優美で、目を奪われて、離せなくなる。  和嘉那はこくりと唾を飲みこんで、掌で胸をおさえる。目を伏せると、ひっそりと深呼吸をした。 (一目惚れなんかしている場合じゃない。邪な気持ちを抱いているのは私だけ。ここで「海の星」の常連さんのイメージを悪くしたら、店のみんなに合わせる顔が) 「変に誤魔化してごめんなさい。私、普段山の中で一人で暮らしていて、『海の星』でも気後れするんです。由春の料理や伊久磨くんの接客だけじゃなくて、建物や内装のイメージで売ってる部分もあると思うんですけど、それだけにあんまり裏方が前に出ちゃいけないかなって。『和かな』がシェフの姉っていうのも別に言う必要のないことですし」 「そうですね。あなたの作品に、付加価値は必要ありません。メディアに露出すれば『美人過ぎる陶芸家』なんて騒ぎになるでしょう。山奥で一人で暮らしているなんてことも、口にしないことです。何かあったときに、どう身を守るつもりです」  話しているうちに、気のせいではなく湛の声の温度が下がった。 (なんかちょっと、怒ってる?) 「そういう売り方をするつもりはないですし、ほんとに一人で話し相手もいないので、普段は誰とも……」  「SNSで宣伝したり、店の販売サイトは作ってないんですか。将来的には陶芸教室なんかも需要ありそうだと思いますけど」  おっと。和菓子職人、結構突っ込んでくるな、と和嘉那は口の端に苦笑を浮かべた。 「一人でやっているのであまり手が回っていないのと、いまは『海の星』という大きな顧客があることで生活自体はなんとか……。出来ればもう少し販路を広げたいとは考えていますが」  市街地に近いところに拠点を置ければ、小さいギャラリーを併設をして直販なども考えられる。それこそ観光地の一角に食いこめれば、陶芸教室以外にもガラス吹き体験などで収入を見込めるかもしれないのだが。  気がついたら和嘉那はそんな事業計画を熱心に語っていた。  真剣に耳を傾けてくれていた湛だが、チラッと腕時計で時間を確認してバーテンダーに声をかける。 「あっ、会計」  ハッと気づいた和嘉那は、バッグに手を突っ込んで、財布をひっつかんだ。 「俺が誘いました」  予想通りの返事だが、ここは引けない。 「出して頂くわけにはいきません。『海の星』に関しては」  言いかけてから、ゾッとする。湛には会計しているそぶりはなかったが、ツケ払いなのだろうか。 「由春が私の分を水沢さんに請求することはないと思う……んですけど、会計、どうなっていたんです……?」 「あれ、ご存知なかったですか。『海の星』は食い逃げ防止を兼ねて前払いですよ」  感じ良く笑いながら、湛はバーテンダーにカードを渡してしまう。 (ええっ? 前払い? 嘘だよね?) 「あの、でもここのお支払いは」 「いま細かい持ち合わせがないので、割り勘は出来ません。お気持ちはありがたく。できればまた何かの機会に」  ニッコリと言ってから、店員と軽く会話を始める。  また、何かの、機会に。 (あるのかな……)  ぼんやりと見つめていると、湛が立ち上がった。 「車を呼んでもらったんですが、もう着いたみたいです。出ましょう」  時刻は0時まであと15分というところ。約束通りだ。  もう少し一緒にいたかったし、すごく名残惜しいけれど、ものすごく楽しい気持ちで終われるから、これはこれで良かったことにしよう。  無理やりそう自分に言い聞かせて立ち上がり、暗い階段を上って地上に出たところで湛から声をかけられた。 「ホームスパンや琥珀細工といった、郷土作家の作品を扱っている店で、話を聞いてくれそうなあてがいくつかあります。もし『和かな』さんがこれまで売り込んだことがない相手なら、交渉する価値はあるでしょう。岩清水さんと俺の時間が合うようであれば、先方にご紹介を兼ねて同行させて頂きます。いかがですか」
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