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貴女と私の未来の話
貴女は私の能力を詐欺と言う。私はそれを否定はしない。能ある鷹は爪を隠す。ましてや現代科学では解明されていない「超」能力であれば尚更のこと。
未来の話をしよう。
仕事から帰ってきた貴女がドアを開けたとき、私は男と共にベッドにいる。青白い体にやけにつるりとした顔を持つ若い男だ。同居人が帰ってきたと告げると、男は飛び起き、慌てて服をまとうと、脱兎のごとく逃げていく。リビングなり廊下なりで貴女とはすれ違ったことだろう。「どうも」と馬鹿みたいにもぐもぐと言う男を、貴女は無表情で見送るだろう。
「おかえりなさい」
全裸のままリビングに行くと、貴女はため息をつく。
「なんで裸なの?」
「シャワーを浴びようと思って」
「じゃあさっさと浴びてきてよ」
私は知っている。貴女が私の体を見て、裸であることを認識した瞬間、どうしようもなく動揺してしまったことを。その反応に満足し、ゆっくりと口角をあげる。貴女はわざとらしいほどに視線を外しているので、私の表情には気づかない。
シャワーを浴びてリビングに戻ると、貴女も部屋着に着替え、レンジで冷凍ご飯を温めている。
「美里はご飯食べたの?」
貴女は何事もなかったかのように言う。
「今日は抜く日」
「お茶入れようか?」
「お願い」
二つのコップに麦茶が注がれる。貴女は手早く夕食の準備をしている。レトルトのカレーを温め、ご飯にかける。レタスをちぎり簡単なサラダを作る。貴女が料理をする姿は好ましい。
貴女はダイニングテーブルに料理を運ぶ。私はリビングのソファーに座っている。テレビをつける。バラエティーもドラマも見る気がしない。番組を次々と変えながら、BSでやっていた海外のドキュメンタリーにチャンネルを合わせる。
「さっきの彼は?」
何気ない調子で貴女は言う。
「んー、顧客の一人」
「だいぶ若い子だったじゃん」
「23歳、大学生だって。退学目前で救いを求めてきた感じ?」
「それを体で救ってあげたの? 教祖様?」
貴女は精いっぱいの毒を込めて私に言う。そんなところが可愛らしいと思う。
「まあね」
笑って見せると、貴女はわずかに眉間にしわを寄せる。
「にしても相変わらず、趣味が悪いわね」
「男の趣味ってこと? それなら貴女に言われたくないわ」
貴女は黙りこむ。それはそうだろう。男に騙された挙句、金をとられ、ローンまで組まされた貴女が私に助けを求めてきたのは半年前。一文無しとなった貴女を部屋に迎え入れ、寝床を提供し、ローンも代わりに返してあげた。貴女は私に頭が上がらない。男の趣味については何も言えない。私はその優位性をおおいに利用している。
貴女は小さく溜息をつくと、その後はもくもくとカレーを口に運ぶ。私はテレビをぼんやりと眺める。時折、貴女の横顔を覗き見ていることに、貴女は気づいていない。
貴女はぼんやりとした子どもだった。私たちが出会ったとき、貴女は10歳で私は15歳だった。子どもにとっての5歳差というのは圧倒的な差だ。貴女はまだ明らかに子どもだったにも関わらず、私はすでに大人というものに成りかけていた。その時のイメージは私たちの中に強固に残り、出会いから何年も経った今でも二人の関係を規定している。私にとって貴女はいつまでも10歳の子どもで、貴女にとって私は15歳のお姉さん。
私から見た貴女は、父の弟の再婚相手の子どもとなる。私たちは義理の従姉妹として、秋のあの日に顔を合わせた。貴女は、親の離婚と再婚という子どもにとっての一大事を乗り越えてきたくせに、年の割には無邪気な笑顔をしていた。兄弟のいない貴女は私や私の兄のことを、実の兄弟のように慕うようになった。すでに自分の力――町の拝み屋だった母の力を受け継いだもの――に気づいていた私は、すでに貴女の中に眠る私への思いを嗅ぎ取っていた。
だからあの時から、こうなることは必然だった。振り返るとそう思う。
カレーを食べ終えた貴女は台所で洗い物をしている。シンクに残ったままのカップラーメンの容器に顔をしかめながら。そう、貴女の想像通り、そのカップラーメンは先ほど部屋から逃げていった男が食べていったものだった。貴女は言いたいはずだ。男を連れ込むのはやめて、と。せめてちゃんと付き合った相手だけにしてほしいと。
「貴女が私の相手をしてくれたら、男なんていらないのに」
だから私は貴女の背に言葉を投げる。びくんと背を震わせた貴女は、怯えたような瞳で私を振り返る。
「だから、私は」
かすれた声がすべてを伝えている。私は貴女の言葉を遮り、さらに言葉を投げつける。
「だって貴女、私のこと、好きじゃない」
言葉はナイフのように貴女に刺さったことだろう。貴女は目を伏せる。小さく首を振る。私はその反応に満足する。
「お前は何を求めているんだ?」
その日の少し前のことだ。電話越しに兄の呆れた声がした。貴女が私の兄に助けを求めたのだということはすぐにピンときた。どこまで話したのだろうか。不器用な貴女は顔を赤くしながら、すべてを告白したに違いない。
しかし兄は貴女の助けにはならない。兄に私は止められない。兄もそのことは自覚していることだろう。それでもこうやって私を諫めようとしている兄は、やはりどこまでも一般人なのだ。彼は私と違って母の力を受け継がなかった。
「別に何も求めていない」
「金か?」
「金には困らない」
「なら、あいつをからかうのはやめろ」
「からかってるつもりは無いのだけど」
「お前な、人の嫌がることはしないって、小学生でも分かることだぞ」
「本当に嫌がってるのかしらねえ」
「嫌がってたぞ」
「私にはそうは見えないけれど」
「……ったく、屁理屈言うな。ほんと、我が妹ながら、わけのわからんやつめ」
「はいはい」
「ほんと、何を望んでいるんだか」
溜息と共に電話が切れた。
私は何を望んでいるのだろうか。欲しいものは何もない。しかし私の中には飢えがある。もっともっと欲しいと叫んでいるケダモノがいる。貴女の困ったような表情は、そんなケダモノをほんの少しだけ満足させる。
「いいの?」
泣きはらしたのだろう。赤い目をした貴女が私を見上げる。
私の部屋の玄関口に立つ貴女は二月だというのに薄手のコートしか着ていない。売れるものはすべて売ってしまった。それでも男と暮らしていた2LDKの家賃が払えない。親の反対を押し切って駆け落ち同然で家を飛び出したが、肝心の相手はただの結婚詐欺師だった。親は今回の件で絶縁しており、頼れない。安い部屋に引っ越したいが、保証人すらも見つけられない。多額のローンを抱えているので保証会社も使えない。四面楚歌な状況のなか、唯一頼れるのは、姉妹同然の血の繋がらない従姉妹のみ。
それが私を訪ねてきたときの貴女の状況。私は貴女にルームシェアとローンの肩代わりを提案する。
「もちろん。可愛い従姉妹の頼みだもの。あ、無利子でいいから」
「でも美里……」
「あ、心配しないで。お金は私が稼いだものじゃなくて、親の遺産から出すから。まあ、貴女にも権利、あるんじゃない。法律については知らないけど」
「そうじゃなくて」
「私が「詐欺」で稼いだお金は使えないと言うつもりかと思ったのだけど、違った?」
「詐欺だなんて思ってない」
震える声を無視して、私はにっこりと貴女に笑いかける。
「信じていないくせに」
貴女の目が泳ぐ。私の中のケダモノが満足そうに舌なめずりをする。
「ごめん」
「いいのよ。でも、私の力は本物。別に信じてくれなくてもいいけど」
「お金、ちゃんと返すから。借用書、ちゃんと書いて。家賃も払う」
「んーそうね」
そこで私はさらなる提案をする。
「じゃあ、私と付き合ってもらおうかしら」
「え?」
「私の彼女になってくれたら、800万の借金も家賃もチャラ。どう?」
貴女は珍獣でも見るような目で私を見つめる。ぼんやりとした10歳の少女の面影が重なる。しかしやがて貴女は私の言葉の意味に気づき、急激に顔を赤らめる。耳や首までもを赤くし、どもりながら、首を振る。
「そ、そんな。ちゃんと、私、働いて返します」
私は自分の中に、どうしようもなく貴女に惹かれている自分に気づく。
洗い物を終えた貴女は、シャワー浴びてくる、と言うと洗面所に消える。一人取り残された私はテレビを切り、古い恋愛小説を紐解く。『キャロル』という女性同士の恋愛を描いた作品で、年下のテレーザが年上のキャロルをどうしようもなく恋焦がれる物語。高校生の頃から好きで何度も読み返した小説である。
目で文章を追いながらも、私は貴女との関係を考える。借金のかたに体を迫るなんて、さすがに古くさすぎるだろうか、と。でも、と私は自分に言い訳する。私が欲しいのは貴女の体だけではない。体だけでは、私の中の飢えは満たせない。
「またその本読んでるの」
ぼんやりとしていると、風呂から上がった貴女がいつの間にか私の後ろに立っている。シャンプーの香りがふんわりと漂う。
「ええ」
私は貴女を見上げ、小さく頷く。
「隣、座っていい?」
「どうぞ、貴女の家だもの、遠慮することないわ」
「家賃まだ払ってないし」
「気にすることないわ。そのうち返してくれるんでしょ」
「もちろん。ねえ、美里」
「何?」
私はここでようやく貴女のただならない雰囲気に気づく。本を置く。貴女を見る。目が合う。近い距離に思わず狼狽する。いつもの優位性を失っていることに気づく。貴女は真剣な目をしている。
「私は貴女が好き」
貴女の言葉は唐突に響く。何故か、貴女の言葉はまるで死刑宣告のように私には感じられる。
「いつからだったかは分からない。気づいたら貴女に惹かれていた。白状すると高校生のころには自覚していた。でも、私たちは従姉妹同士だし、同性同士だし、貴女は大人で私は子どもだったから、自分の胸に一生しまっておこうと思っていた。貴女のことは忘れたことにして恋愛したり、結婚詐欺にあったりしたの」
「そう」。
「だから貴女には助けられたくなかった」
貴女の言葉に、私の脳髄が一気に凍える。
「私は早く大人になりたかった。せめて貴女と対等の女になりたかった。でも貴女はいつも大人で、そして男に簡単に騙されて子どものように泣いている私を守ってくれた。私は貴女に感謝している。でも、本当はこんなことを望んではいない」
「じゃあ、貴女は何を望むの。貴女は私を好きという。同時に私とは付き合いたくないという」
「つきあいたくないなんて言ってない」
貴女の声はあくまで冷静であり、私の言葉は震えている。
「借金のかたにつきあうなんてこと、したくないの。ねえ、美里、私を見て。過去や未来の私じゃなくて、今の私をちゃんと見て。私は今の貴女が欲しい。貴女にも今の私を欲してほしい」
私は貴女を見る。ぼんやりとした子どもの面影なんてどこにもない。一人の自立した女としての貴女がそこにいる。新鮮な驚きが私を襲う。私は何も見えていなかったのだ、と自覚する。後悔や罪悪感が波のように押し寄せては、私の中のケダモノを押しつぶす。
「ごめんなさい」
私は言葉を絞り出す。貴女は母親が子どもをあやすときに見せるような表情で私に微笑みかける。
「ねえ、美里。私は貴女が好き。だから、そんな顔しないで」
貴女の細い指が私の頬をそっと撫ぜる。その冷たさに今まで感じたことのない質の胸の高鳴りを感じる。繊細な指はすぐに私から離れる。私は無意識のうちにその指の行き先を追っている。
「ごめんなさい」
私は幼子のように言葉を繰り返す。
「借金はちゃんと返すから」
貴女は満足そうに微笑むと、すっとソファーから立ち上がる。貴女の体温が私から離れる。その体温を追いかけたくなる衝動を覚える。しかし私はソファーに深くもたれかかったまま、私たちの関係性ががらりと大きく変わったことを自覚する。
それは決して嫌な変化ではない。
未来の話はこれでおしまい。この先の未来については、なぜか私の力では見通せない。だから私は貴女と同じように未来に対して不安と期待を覚えている。
そろそろ時間だ。私は貴女に電話をかける。
「久しぶり」
声をかけると貴女は明るい声で私の名を読んだ。
「結婚するんだってね、おめでとう」
私が言うと、貴女は嬉しそうにもうすぐ式場を予約すると話した。貴女はこれから騙されることを知らない。私は後ろめたく思いながらも、彼女を助けるために用意した言葉を告げる。
「この先貴女は困難に出会うわ」
「ちょっと、何? また予言? それとも一般論?」
「黙って聞いて。困ったら、私を頼りなさい。私はいつでも貴女の味方だから」
貴女は電話の向こうで一瞬黙る。それから「ありがとう」とつぶやいた。
これから私は、騙された貴女が部屋を訪ねてくることを待つ。貴女はまだ、何も知らない。
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