【一章】 吸血鬼と堕天使

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「うっ、ぐ」  気持ち悪い。今まで結構長い時を生きてきたが、こんなにも気持ち悪くなったことがあっただろうか。  荒くなる呼吸。息を吸う度に、肺が軋むよう。口腔内に広がる鉄錆の臭い。歯を食いしばった際に、犬歯で唇を切ったのか。  自分の血程、不快なものはないというのに。 「やりましたね、ダリアさん!」 「んー……でも、このお兄さん……まだ余裕がありそうじゃない?」  クスクスと、嫌な笑み。困惑顔の手下の手から新たな注射器をひったくると、ダリアが眼前の注射針を突き付けた。  少しでも身じろぎすれば、眼球に刺さってしまうだろう。  そうすれば、どうなるか。視力を失うだけで済めば良い方か。 「ねえ、お兄さん。アタシ、お兄さんのお名前が知りたくて仕方がないんだけど」  ねっとりとした、猫撫で声でダリア。恐らく、賞金をかけられている吸血鬼であった場合、その報奨金まで頂こうという魂胆だろう。 「……この手錠を、外してくれたら……お教えしますよ」 「別に片眼が無くなっても、金額には変わらないのよ?」 「では……僕の、質問に答えて頂けますか? 貴女が、言っていた……凄腕のスナイパーとは……もしかして、黒髪で背が高い、顔立ちは綺麗でも性格が悪い若い男の子……では、ありませんか?」 「ええー? 違うわよ、軍人上がりのジジイよん」  甲高い声で姦しく笑いながら、ダリア。そんなに僕の言葉が面白かったのだろうか。 「ウフフ……もしかして、知り合いにそういう子が居るの? その子も吸血鬼?」 「……いえ、人違いなら良いんです」  忘れてください。そう言ったつもりだった。否、確実に言った。だが、僕の声は掻き消されてしまった。突如轟いた、爆音のせいで。  悪い予感、的中。 「な、何!?」 「ふん、何だ……そろそろ死んだと思っていたのに。しぶとく生きていたか、この死に損ないの色ボケ吸血鬼」  両開きの扉を開けるや否や、突如発砲してきたのは若い男だ。大人っぽく見えるが、まだ二十代前半くらいだろう。  艶やかな黒髪をさらりと揺らし、人並み外れた美貌に酷薄な微笑を飾って。右手には、大口径の自動式拳銃。そして左手には、 「ほら、お前達が自慢していた『凄腕のスナイパー』とやらを届けに来てやったぞ」  まるで荷物でも放るかのようにして、小脇に抱えていた初老の男――可哀想なことに、全身をガムテープでぐるぐる巻きにされている。時折爪先がぴくぴくと動いている気がするので、多分死んでない――を、コンクリートに捨てた。決して筋骨隆々とは言い難い体躯はすらりと細く、ロングコートを難無く着こなす麗姿はファッションモデルか、映画俳優にしか見えない。  その真紅の双眸が、欲望丸出しにぎらついてさえいなければ。 「なっ、コイツ……まさか、仲間の吸血鬼――」 「何か、言ったか?」  男の一人が言いかけた言葉を掻き消すように、彼は引き金を絞る。凄まじい轟音を喚きながら、凶悪な弾丸がコンクリートをいとも簡単に抉った。  僕の記憶が正しければ、確かあれは彼のお気に入りの一つ。自動式拳銃では珍しくガス圧作動式を採用した五十口径。この世界に存在する中では最大威力を誇る、怪物のような拳銃だ。その実力は、ちょっとした自動小銃なんて遥かに凌ぐ。  端的に言えば、こんな室内で使うような代物では決してない。 「なっ……ちょっと、そこの黒髪のお兄さん? まさか、この吸血鬼のなか――」 「仲間じゃない。おかしな憶測をすれば、その毒花みたいな頭を吹き飛ばすぞ?」  間髪入れずに、否定する彼。一体、僕はどれだけ彼に嫌われているのだろう。特に何か悪さをした覚えはないのに。 「ゲホッ、ごほ……ルシア、くん。後で何でも言うことを聞いてあげますので……助けて頂けませんか?」  不味い、喋るだけでも喉が焼けるように痛い。粘膜が破けたのだろうか、不快な血の味がする。みっともない姿を見せるのはプライドが軋むが、今はそんなことに拘っている場合ではない。 「ふうん? 何でも言うことを聞いてくれるのか……」  猫のように目を細めて笑う。彼だって、『半分』は人の血を受け継いでいるのだ。普段は僕の顔を見る度に「死ね」だの「殺す」だのと言ってくるが、こういう時くらいはきっと助けてくれる筈。 「それなら、今すぐ死ね」 「無慈悲!」  思わず叫んで、そして激しく咳き込んでしまう。ダメだ。彼はその美麗な見た目と名前の通り、まるで悪魔のように冷酷だった。 「……えっと、ルシアくんで良いのかしら。坊や?」  いつの間にか、注射器が眼球から喉へと移動していた。ダリアが膝立ちの格好でルシアを振り返る。  その拍子に針先が肌を引っ掻いた為に、情けない悲鳴が零れた。 「このお兄さんのお仲間――」 「仲間じゃない。何度言ったらわかるんだ、この毒花」 「誰が毒花よ! ……まあ、今はそんなことどうでも良いわ」  注射器を握るダリアの手に力が籠る。 「それ以上近づいたり、銃を撃ってきたりしたら……このお兄さんにつよーい毒をお 注射しちゃうから! 死んじゃうかもしれないわよ、良いの!?」 「そんなことよりも、お前達に聞きたいことがある」  そんなこと! 最早声すら出せなかったが、どうやらダリア達もルシアの横暴さに圧倒されているよう。  だが、彼女達もかなりの場数を踏んでいるのだろう。怯んだのは一瞬だけ。ダリアが目配せすれば、男達が腰や胸元に吊った拳銃を素早く抜いた。中には、ナイフを構えている者も居る。 「……坊や、随分自分の腕に自信があるみたいだけど。こっちだって素人じゃないのよ? まずは、その銃を捨てなさい。お話は、それからよ。その可愛いお顔に、傷を付けたくないでしょう?」 「…………」  ダリアがルシアを睨み付ける。ルシアは何も言わず、ただ派手な装いの彼女を軽蔑しているかのように見返している。  相変わらず、派手な身なりや露出過多な格好に潔癖なようだ。 「大人しく言うことを聞いてくれたら、このお兄さんも自由にしてあげるわよ?」  ルシアが眼前に並ぶ男達を見やる。彼の銃は絶大な威力を誇るが、連射には向かない。誰か一人を撃ったところで、別の誰かに無力化されてしまうのがオチだ。  彼が素直に要求を飲むなんて、太陽が西から昇ることよりも有り得ないだろうが―― 「……わかった、従おう」 「えっ」  まさか、そんな。困惑する僕を置いてきぼりにして、ルシアが潔く愛銃を床に置いて一歩下がった。いつの間にか、しっかりと安全装置までかけられている。  彼が無傷で再びその銃を手に取ることは、恐らく不可能だ。 「あらー? 良い子ねー、素直な子は好きよぉ!」  ダリアが注射器を手にしたまま立ち上がり、ルシアの方に向き直った。じくじくと疼く傷口。もしかして、もしかしてもしかして! 「ルシアくん……!」  僕を助けようとしてくれているのだろうか。口ではくたばれとか処すとか物騒なことばかり言っていても、やっぱり長い付き合いである僕が苦しんでいれば助けてくれる。そんな不器用な優しさが、ちゃんと彼にも残っていたというわけか!  どうしよう、感動して泣きそうだ。 「さあ、そのまま両手を上げて床に――」 「跪くのは、お前達の方だと思うが?」  勝ちを確信したであろうダリア達に、不敵に嗤うルシア。彼女達が彼の思惑を察するよりも先に、彼の方が速く動いた。一瞬だった。  恐らく、ストラップを付けて肩にかけていたのだろう。ロングコートの下、背中に上手く隠していた『それ』を、見惚れる程に優美な動作で構えた。 「えっ」  全員が、もちろん僕も含めて皆が唖然として『それ』を見つめた。鈍色の塊に、グリップ部分だけをくり抜いたかのような奇抜な形。SF映画に出てきそうな近未来的な銃にも見えるが、そんな夢溢れる代物ではない。  全長五十センチの奇怪な短機関銃。しかし一般的な短機関銃とは異なり、独自開発された黄金色の弾丸を放つそれは、鉄板は貫き生身の肉体を砕く上にフルオートでばら撒けるという恐ろしい性能を誇っている。最大射程距離は約二キロ。装弾数はマガジン一本で五十発。一人倒すのに八発は使える。  要約すると、彼は一ミリも僕を助けようだなんて考えてない。 「あっ、ええっと……あ、さっきの話! お姉さん、急にルシアくんのお話聞きたくなってきちゃったー!」 「そうか。正直なところ、俺はもう用はないがな。必要な情報はそこの凄腕のスナイパーから全部聞いた。右手の爪を一枚につき六十秒程かけてじっくり剥いでやったら、三枚目の半ばでケロッと喋ったぞ」 「エグい!! この子、綺麗な顔してやることがエグいわ! って、それなら何でさっき交渉しようとしたの!?」 「凄腕のスナイパーが嘘を言っていないかどうかを確認するため……ではなく、バカ正直に話そうとした瞬間にコイツをぶっ放したらさぞ愉快そうだと思ってな。裏付けは、そこの吸血鬼がズタボロになって捕まっていることだけで十分だ」 「悪趣味!」 「悪趣味……? そうか」  それぞれが銃を構える。だが、結果はもう見えている。彼らの安っぽい拳銃と、ルシアの化け物じみた短機関銃。  ルシアが、その凄絶な美貌におぞましい程の嘲笑を飾る。 「ありがとう、褒め言葉だ」 「あ、悪魔だああぁ!!!」 「あっはははは!」  ――その後数分間、僕が覚えているのは哀れな人間達の悲鳴と、身の毛もよだつ甲高い轟音と、新しい玩具ではしゃぐ子供のような笑顔の悪魔だけだった。
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