【一章】 吸血鬼と堕天使

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【一章】 吸血鬼と堕天使

 僕は思った。これは死ぬかもしれない。割と、本気で。本当に、冗談抜きで、今日こそ砂に還るかもしれない。 「………」  まず、身体中が痛い。視界がぼやけ、耳鳴りが止まらない。頭の中は綿を詰め込まれたかのように熱っぽく、咥内は胃液がせり上がってくるせいか苦い上に酸っぱい。落ち着け、とりあえずここ暫くは固形物を口から摂取していないことだけは思い出せる。  ということは、口からアレをアレする、なんて最悪な醜態を晒すことだけは避けられる。良かった。  ――それで……この薬さえ……れば――  ――祖国に……が……ろう――  誰かが、誰かと喋っている。一人や二人では無いようだが、何人かまではわからない。どうやら、僕が目を覚ましたことには気がついていないらしい。逃げるなら今か。徐々にではあるが、身体の感覚が戻り始めている。  どうやら此処はガレージ、もしくは倉庫か何かのようだ。埃っぽい空気に、だだっ広い空間。そういえば、話声も幾らか響いているように思える。  そして、僕自身は……柱の一本を括るかのように後ろで両手首を拘束され、コンクリートの地面に直接腰を下ろす形で座らせられている。口には猿靴もテープも無い。幸運なことに、拘束具らしい拘束具は両手の自由を奪う手錠くらいか。舐められたものだ。  見た目は頼りないかもしれないが。こんな細い鎖を引き千切ることくらい―― 「――――ぐッ!?」  突如、両手首を焼かれる感触に悲鳴が漏れてしまった。前言撤回。全然幸運じゃない!  じりじりと、肉が焦げる臭いが鼻腔を掠める。どうやら、手錠には少量の『銀』が塗されていたらしい。気がつかなかったとは、不覚だ。  何故なら銀は、僕のような……所謂、『吸血鬼』の身体を傷付けることが出来る唯一の金属なのだから。それ程広範囲には焼け焦げていない筈だが、両手は指先まで痺れている。指を曲げることすら難しい。 「……あらあらー? やっと起きたのね、吸血鬼のお兄さん」  バレてしまった。仕方がない。僕は逃げるのを一旦諦めて、声のする方を見やる。一人、二人……どうやらこの五人組に捕まってしまったらしい。  五人の中では女が一人だけ、その他は男ばかり。年齢はバラバラ。共通点は、全員顔色が悪くて不健康そうなところくらいか。 「ワオ、やっぱり超イケメン! それでは、改めて……初めまして、アタシはダリア。コイツらはただの部下だから、気にしないで頂戴」  ダリアと名乗る女がヒールを鳴らしながら、目の前で屈む。目も覚めるようなピンク色に染められた髪に、ぎょろりとした双眸。真っ赤な唇から漏れるヤニ臭い息に耐えきれず、顔を背けた。何百年か前、熱帯林で迷った時に見かけた派手な毒花に似ている。  女の子なら煙草は控えなさい、って言ってやりたい。でも、それよりも先に訊かなければいけないことがある。 「あの……ダリア、さん? 何で僕、こんな場所で手錠なんかされちゃっているんでしょうか?」 「それは、アタシがアンタに惚れちゃったから。部下の一人が、凄腕のスナイパーでね? 一発バーン! ってさせて貰ったの。だって、こーんな色男を『味見』もしないで逃がすなんて、勿体無いでしょう?」 「はあ……凄腕のスナイパー、ですか」 「そ。遠くの方から、クマでも一発でぐっすり眠っちゃう超強力な麻酔銃で、ズドンと一発ね?」  嗚呼、何となく思い出してきた。薄暗い路地裏を歩いていたら、僅かな衝撃を感じて急に意識が薄れていったのだった。そうか、狙撃されたのか。……本当に? 有り得ない。  これでも幾千の戦場を渡り歩いてきた。例え遠距離であろうと、仄暗い悪意を匂わせればすぐに気がつく。そんな僕に、気配を悟られずに攻撃するなどという芸当が出来る者が居るだなんて。  どうしよう、少し嫌な予感がする。 「あのー……麻酔銃を撃たれただけにしては僕、もの凄く具合悪いんですけど」 「ウフッ! 実は……ちょっとだけお兄さんのこの身体で遊ばせて貰っちゃったの。本当は、眠っている間に最後まで済ませちゃっても良かったんだけど……やっぱりぃ、この綺麗な顔が歪むところをじっくり見たいじゃない?」 「……何の、ことでしょうか」 「お楽しみ、よ?」  品の無い微笑を浮かべながら、ダリアが僕の大腿に跨った。短いスカートから蝋のように白い脚を見せつけられ、豊満な胸元が下品に揺れる。  どうしよう、凄く嫌な予感がする! 「ねえ、お兄さん。お名前は?」 「……えっと、答えたくないです」 「あら、強情。まあ良いわ。すぐに喋りたくなるでしょうし」  熱く火照った手が、肌蹴た胸元をするりと這うように撫でる。おかしい、今日の僕はちゃんとネクタイまできっちり締めていた筈。 「途中までしたんだけど、反応が無いのってやっぱり退屈なのよね? ほら、ねえ……まだ感じるでしょう?」 「ッ!?」  漆黒に塗り潰された爪が、鎖骨の辺りを引っ掻く。その瞬間、強烈な痛みに息が詰まった。明らかに引っ掻かれただけの痛みではない。 「キャハハハ! それ、その表情よお兄さん! アタシはそれが見たかったの!!」 「ッは、ぁ……な、にを」 「フフフ、知りたい? コレよ」  後ろに控えていた男が、ダリアに何かを手渡した。くすんだ照明に照らされながら、ダリアの手で弄ばれるそれを見つめる。  それは華奢でありながら、露骨な悪意を見せびらかす――注射器だった。 「これね、吸血鬼専用の毒薬よ。とある国が開発して、今後は吸血鬼の処刑に使うつもりみたい。本当はお兄さんが起きてからにしようと思ったんだけど……待ち切れなくて、さっき一本分入れちゃった」 「なるほど……この気持ち悪さは、その注射のせいですか」 「そういうこと。で、ここからが本題。アタシ達、こう見えて政府公認の『吸血鬼ハンター』なの。本来は、指名手配された吸血鬼を仕留めるのがお仕事なんだけど……政府から通達があって。最近は吸血鬼を殺さないで、捕まえて政府に売るの」  でも、とダリアが続ける。 「この注射に、一本でも耐えられないザコは買い取って貰えないのよ。砂に還っちゃうから仕方ないんだけど。で、お兄さんはもう既に一本注射されて、でもちゃんと生き残ってくれたわけだけど……お兄さん、元気そうだから」  真っ赤な唇を、笑みの形に歪め。ダリアが慣れた手つきで注射器を操り、針の先端を喉に突きつけた。銀色の薬液が、眼下で不気味に揺れる。 「もう一本、イってみない? 二本も耐えられる吸血鬼なんか、早々居ないもの! きっと、高値で売れるわ!!」 「いや……そういうギャンブル思考、良くないと思いますよ? 手堅いところで止めておいた方が――」 「それは、イヤ」  痛い、と感じたのは一瞬だった。直接注入される薬液が血管を、細胞を、容赦なく破壊する。血液を直接犯し、心臓から全身へと毒が回る。 「――うッ、ぁ……ぐっああ!?」  びくりと、身体が痙攣する。その拍子に再び手錠が肌を焼くが、構っていられなかった。  心臓が脈打つ度に指先まで激痛が走り、全身から汗が噴き出すよう。視界がぼやけ、今にも掻き消されそうな意識を必死に繋ぎ留める。 「キャハハ! スゴい、スゴいわお兄さん!! まさか本当に二本目も耐えちゃうなんて! サイコーよ、サイコーだわ!」 「ぐッ、はぁ……んぅ、ん」 「ウフフ、可愛いお顔。声も色っぽくて……アタシまで気持ち良くなりそう」  滲む視界の中で、ダリアが恍惚とした笑みを浮かべる。
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