離郷のとき

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「わたくしの顔をよく見てみよ」  エスペランサが相手に顔を近づける。おそらく王女の顔など知らないだろう。それでも王族の気迫を感じ取れるだけの知覚はあったようだ。 「お、王女様が視察に訪れるなど、そのような連絡を受けてはおりません」 「いや、連絡は確かにした」  答えたブルームアに、相手は「あんたは誰だ?」と尋ねてくる。 「この視察でわたくしの側仕えに任じたムーア大尉だ」  エスペランサが真顔で答えると、男は「大尉? そうでしたか」と丁寧な声に変わり、恐縮そうに身を縮こませた。意識せずとも士官としての威厳が滲み出てしまうブルームアの言動が、こんなところで役に立っていた。  すっかり勢いを失った相手は、頭を垂れながら弁明をしてくる。 「しかし、連絡がなかったことは確かです。間違いありません」  ブルームアは顔をしかめ、緊迫感のある声を上げた。 「気にいらないな。連絡を受け取っていないなどと言って、自らの不手際を我々のせいにしようとしているのではあるまいな?」 「そ、そんなことはありません」 「もうよい。誰にでも落ち度はある」  エスペランサが再び手でブルームアを制した。相手の男はもちろん、馬車に隠れるように立っている数名の男たちまでほっとするのが分かった。  とんだ茶番であるが、アイリーンも槍を持つ女性らも真剣な表情を保っている。エスペランサは本物の王女であるため問題はないが、自身の言動が側仕えとして違和感を持たせていないかが気になる。そんなブルームアの思いを知ることなく、王女は男と会話を続けた。 「ところで、わたくしの乗ってきた船を拿捕したと聞いたが本当か」 「船、と言いますと」 「浅瀬に泊めてあったケッチ船だ。今朝入港したであろう」 「ああ、あの怪しい船ですか。ですが拿捕したのではありません、曳航してきたのです」 「どちらも同じことよ。乗っていた善良な船員が痛めつけられない内に港へ行く」  男が返事をする前に、エスペランサは馬車に向かって歩き出した。ブルームアもその後ろを追う。王女が荷台に乗り込むのを手伝うと、その隣に腰掛けた。 「何をしている。早く馬を手繰らないか」  突っ立ったままでいる男に向かってエスペランサが怒鳴る。慌てて馬車に戻る姿は滑稽だ。数名の兵をその場に残したまま、馬車は元来た道を走り出した。  ブルームアは荷台から遠ざかるアイリーンを見た。にやりと口元を緩めた顔はうまくいくことを祈ってくれているように見えた。
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