決行の夜

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決行の夜

 夜の(とばり)が下りた洋上は、月も星も隠れ、暗闇の中をただ風だけが吹き抜けていた。  ゆったりとした横揺れに揉まれながら、ゾルギア国の艦船は波間に浮かんでいた。エンジン航行であっても、周囲との距離を一定に保ち続けるのは困難だ。艦に灯された明かりだけを頼りにして、彼らは視界が開けるのをひたすら待ち続けている。闇の中でより一層煌々と明かりを灯す、艦隊司令官が座乗する戦艦、エルドラド号を先頭にして。  当直以外の乗員が休息できる非戦闘時であっても、エルドラド号の艦内に落ち着きはなかった。  艦尾の士官集会室には、当直、非直に関係なく、乗艦しているゾルギア人が所狭しと立っている。その数総勢百二十名。翌日に開戦を控えている彼らは、バラク司令官から特別に訓示があると聞き、集結させられていた。しかし、どこを見回しても肝心のバラクの姿はない。だが、それを不審に思う者もいない。    ざわついた室内の一角に視線が集まる。  そこだけ切り取ったかのように、彼の周りは悠然とした空気が流れていた。艦長のブルームアである。鍛えた肉体がまとう軍服姿は凛々しく、整った顔立ちに浮かぶ自信は頼もしさを感じさせていた。  司令官がいなくとも、艦長がいれば問題ないと部下に思われるのには、他にも理由があった。アトバン公爵家という、誰もが信を置く身元がブルームアにはあり、海軍に士官入隊して十五年経っても就けるか定かではない旗艦の艦長職に、十年ほどで就いている能力の高さも周囲の安心感を確かなものにしていた。 「艦長、お持ちしました」  給仕係が静かに歩み寄り、ブルームアに酒の入ったコップを両手で差し出してくる。彼はマール人だ。肌の色が青いため、見た目ですぐに判別出来る。マール人に自由はない。常に一番下、つまりは奴隷である。 「ご苦労。問題はないか」 「はい、順調に進んでいます」  ブルームアが首肯してコップを受け取ると、給仕は緊張した様子でコップの載ったカートを押していく。彼らは忙しなく室内を行き来し、士官たち一人一人に酒の入ったコップを渡していった。  海上に身を置く者の数少ない喜びのうちの一つが酒だ。厳たる態度で臨むべき場で配酒されることに誰も疑問を挟まず、副長までもが遠慮せずに受け取る。   皆の手に酒が渡ったのを見届けると、ブルームアは朗々と語りかけた。 「諸君にはこれから重要なことがもたらされる。だが、まずは緊張を解すために皆で飲もう」  ブルームアがコップに口をつけると、その場の誰もが上官に(なら)う。ゾルギア産ウィスキーの甘い匂いと樽の風味で、彼らの頬がたちまち緩んだ。
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