序章 星宿

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 悠然と草の上を歩いていく牛を横目にしながら、柴四朗は東京府神田区(現千代田区)を出発してから懐中時計の針がさほど進んでいないことに長息した。  東京府では明治四年(一八七一)、明治一一年(一八七八)と区画整理を行い、現在は一五の区がある。四朗が降り立った淀橋町に隣接するのは四谷区(現新宿区)だが、区画上は豊多摩郡に属している。古くは昌平黌のある土地として知られ、現在も東京外国語学校をはじめとする多くの学校が建てられていく神田区を見た後だと、だだっぴろい牧場に心許なさを感じた。 (あの方も昌平黌には縁が深かったな)  四朗の視線の先には、一軒の草庵があった。青空と牧場というのどかな風景の中で、控え目に佇んでいる。そこに、自分を待つ人がいるはずだった。 (あの方だけではない。永岡様や秋月様。世が世なら、きっと太一郎兄や五郎も縁を持つことができたはずだ)  四朗は草庵へ向かう足を止め、青空に一つずつ忘れ得ぬ人々の顔を思い浮かべてみた。すると四郎の心は様々に揺さぶられる。その気持ちを落ち着けるように息をつき、四朗は追想を止めた。 「ごめんください、四朗です」
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