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第3章 - 10 years later - 火竜の炎
十年後も火竜姫レアは存在していた。
一方クロードは……。
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手のひらに浮かぶ火球が手摺に縁取られた夜を照らす。城壁からせり出したバルコニー。空には薄雲が、月のありかをほんのりと示している。
女は火球を両手で包み、胸元に引き寄せた。自らの魔力で燃える火は暖かい。目立ち始めた腹部の膨らみが光と熱を受け止める。中にいる命は、明るさを感じるのだろうか。
頭の中で鳥を描く。指先に集中する。しかし、炎は一瞬横に伸びただけで、すぐに元の火球に戻った。ため息とともに小さくした炎を手燭に移す。
まだ見習いとして魔法修行をしていた頃、一度だけ火竜姫の技を見る機会があった。セルジャン郊外の演習場。集められた魔法使いたちに見守られる中、少女が腕を広げると、火柱が吹き上げた。平たくして壁を作るとくるりと筒状に丸め、裏返す動きから翼を広げた鳥が現れる。火の鳥が天に昇って消えると、大魔導プルデンスは言った。魔法は制御である、と。遅れて、まばらな拍手が少女に送られた。
当時、歳の割に大きな炎を作れた女は、貴族の娘だったこともあって、期待の逸材としてもてはやされていた。末は大魔導の片腕に、いや、後継に。有望な前途を周囲も自分も疑わなかった。火竜姫の技を目の当たりにするまでは。
まだ友人たちには難しい、民家を焼き尽くす規模の炎を放つことができた。ただ、まだ燃える勢いを調節したり、造形を操ったりはできなかった。柱や壁を作るくらいなら問題ない。一人前の魔法使いの基本、いずれは自分にもできるようになるだろう。だが、あんなのは初めてだった。炎に、生命を与えるような。大人たちの絶句が、特別な称号を与えられる者の格を裏付けていた。
──チチェクの盗賊だったそうだ
──下半身は鱗で覆われているとか
──尻尾まであるらしい
見苦しいやっかみだと冷ややかに眺めていた噂話を、いつしか自分の口からも語るようになった。
それが、今は。
「レア、こんなところにいたのか」
背後からの声に振り返ると、夫のリオネルがバルコニーに出てきたところだった。「どうしてこんな所に……」
「少し、お話をしていたのよ」
手燭で腹部を照らすと、リオネルは自分の上着を脱いで女の肩に掛けた。
「そういうのは昼間のほうがいいんじゃないのかな? まだ夜は冷える。早く中へ」
「あら、起きているのは昼間とは限らないわ。夜のほうがよく動く日もあるのよ」
「魔法を見せていたのかい? 火竜姫」
肩を抱きながら問いかける夫に、女は目を伏せてうなずいた。そんな穏やかなひとときであったら、ずっと良かったのに。
お腹の子供に流れる血は特別ではない。十年、国ぐるみで塗り固めた嘘は、いずれ崩壊する。愛する人の失望が今から恐ろしい。せめて〝私〟として火竜姫を名乗れていたら。
「レア」
リオネルに促されてバルコニーを後にする。去り際に雲の切れ間から顔を出した月は、昨日より少し膨らんでいた。
イヴェット。私の名前は、イヴェットというの──。
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