序章 - The day -

2/3
前へ
/98ページ
次へ
 「火竜姫」──卑賤な生まれながら、類い稀なる力を認められ、他国への脅威として政治に寄与した、功績に付けられた地位と称号。半島の制圧後、用済みの火器は中央から離すべしと言わんばかりに北部国境の守護を任ぜられ、向かう旅の途上だった。  最小限とはいえ護衛の分隊を組み、指揮に騎士まで据えたのは、まだ少女に幾許かの価値を認めてのことだろう。もっとも、物の例えとはいえ〝千里を薙ぐ〟ほどの火力があるのだから、護ってやらねばならないのは従者のほうかもしれなかったが。  襲ってきたのがただの野盗でないことは、少女にもわかっていた。奴らは少女が炎を広げにくい地形で待ち伏せ、矢で隊列を崩し、犬を放って川へ追い込んだ。少女が水を嫌う性質だと知っていたのだ。水際で仕留められなくても、川に入れば弱体化する。  少女への直接の攻撃がなかったところを見ると、生け捕りを目論んでいたようだ。希少価値、利用価値、研究する価値……。知らぬうちに生を受け、ただ存在しているだけの自分を、大人は勝手に値踏みする。いずれにせよ、少女にとっては嬉しくないのは間違いない。  扱う魔法の特長や弱点から、手前に有利な地形へ隊が差し掛かるタイミングまで、よく調べて周到に用意されている。隊に敵国のスパイでも紛れ込んでいたか、買収された者でもいたか。矢の雨に四散した兵士たちの顔はもう思い出せない。川辺で大技を放った時、すでにすべてが敵だった。  こうして狙われる突き抜けた能力と特殊な事情。ある者はその待遇を妬み、ある者はその出自を蔑み、多くはその力を畏怖した。少女もまた、自分を色眼鏡で見る大人たちに、衣食住の充足以上を求めなかった。  唯一、大人が作り上げた垣根を越えてきたのがこの騎士だ。騎士であるうちは位が下だが、代々将軍を輩出する名家の子息。少女を見出したのが父である現将軍だったこともあり、仕官するまでの数年を同じ屋敷で暮らした。気安くからかっては怒らせ、怒らせては笑って、兄貴風を吹かせてくる。とはいえ、家族も友もいない少女には、「兄」とはどんなものか知る由もない。ただ暑苦しい隣人で、ちょっかいを出されるたびに迷惑するが、孤独に慣れているはずの心は騎士の不在に寂しさを覚えた。  今回同行することになったのは騎士の申し出だという。父君が許したのは思惑あってのことだろう。大人の事情とやらは、いつも当人に断りなく組み込まれる。  炭が崩れる音で少女は目を開けた。いつのまにかくべた枝は燃え尽きて、残った火種が静かに赤く光っている。暗闇の中で静かに灯るそれは敗者が隠し持つ復讐心のようだった。  枯れ枝を差し入れては息を吹きかける作業を何度か繰り返し、やっと炎が上がる。焚き付けは慣れない作業だった。何かを灰にするのが仕事だったのに、今は懸命に火を守っていると思ったら、笑いがこみあげてきた。 「少しは眠れたか?」  騎士の声がした。寝始めと同じ姿勢で、目を閉じたままだった。どうやら一人笑いは見られずに済んだらしい。  まあ、と少女は掌で笑みを拭った。頰で乾いた泥が落ちる。気づけば体温も戻り、指先にも力が入る。この調子なら、横にならなくても朝までには小技のひとつふたつは出せそうだ。  騎士の体力も回復しただろうか。少女は問いかけたが、騎士は返事のかわりに、少し話してもいいか、と切り出した。 「国境まで行くのは、やめにしないか」  騎士の提案は意外なものだった。将来を約束された若き貴人。務めを果たして中央へ帰れば、ゆくゆくは軍の要職に就くはずの。  少女は改めて騎士を見つめた。岩に体重を預けてはいるが、膝を立ててすぐに剣を抜ける体勢をとっている。表情は読めない。 「さっきので死んだってことにしておけばいいさ。この森を抜けたら、ふたりして違う名を名乗って、別人として生きるんだ。力を隠して」  騎士が言葉を継ぐたび、少女の鼓動は早まった。魔法を使わない自分など想像したこともなかった。誰よりも力を必要として、利用して生きていたのは他ならぬ自分だと思い知った。特別であることに翻弄された半生。しかし、平凡であったなら、ここまで生きて来れただろうか? 「国境まで行くなら、越えて他国に入ってもいいかもな。名前は、ありふれているものにしよう。マルリルなんてどうだ? おまえは俺のを考えてくれよ」 「……だから、次から次へとまくしたてるな」  少女はやっとそれだけ返した。炎を取ったら何の取り柄もなくなる事実にたじろいだばかりだというのに、今はもう、普通の少女としての生活を想像し始めている自分に戸惑う。小さな民家で、騎士と囲む質素な食卓──悲しいかな、平凡を知らぬ少女にはその程度の絵しか描けない。ただ、騎士がそばにいてくれるなら、まだ眩しくて見通せない道のりをどこまでも行ける気がした。  ぱちん、枝が爆ぜる。少女は現実に引き戻された。自分が凡人として新たな一歩を踏み出すのはいい。だが、騎士にとっての最善は中央に帰ることだ。森を抜けるまでは協力するとしても、その先はそれぞれの向かうべき場所へと道を分かつべきだろう。  言おうとして、少女より先に騎士が口を開いた。 「一緒に行きたかったが」  区切って、息を吐く。「……どうやら、難しいようだ」
/98ページ

最初のコメントを投稿しよう!

92人が本棚に入れています
本棚に追加