第3章 - 10 years later - 火竜の炎

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 燃える。燃えている。  炎は意思を持つかの如く敷石の路上を這う。千切れた輪舞に代わって立ち上がり踊る。露店のいくつかは庇を舐められ、売り物は炭と化す。広場には悲鳴と怒声が飛び交い、逃げる人に踏みしだかれた花冠は熱に抱かれて発火する。  目を開けていると眼球が炙られる。かざした指の隙間から見える赤い世界。数歩先に立つ少女の、すくい上げる仕草の両手から、湧いてはこぼれる炎。これは、魔法だ。  マルリルの花が盛りを折り返す頃、半島に吹く風は南から潮の香りを運んでくる。野山は緑を濃くし、種々の花が彩りを添える。苗付けが終わった畝では、渡る風に翻る葉が日の光に輝く。  夏。一年で最も美しく、生気あふれる季節。窓を開け放ち上着を脱ぎ捨て、人々は明るく心地よい暑さを享受する。  そんな夏の訪れを祝うのが夏至祭だ。  夏至の日、街や村の単位でそれぞれに催される季節行事で、半島に暮らす者はこれがないと夏が始まらない。規模は地域ごとの文化や人口に左右されるが、この日ばかりは戦場の兵士ですら休暇をもらって帰ってくるほどだ。  祭の中心地には朝から火が焚かれ、人々はそれを囲んで輪舞を踊る。未婚の女は花で編んだ冠を被り、男は葉のついた小枝で想いびとを輪舞に誘う。酒や軽食を売る露店が並び、大きい街なら道化や芝居の見世物小屋が建つこともある。  焚き火は夏を象徴している。炎がもたらす熱と光は、生命を育み繋ぐ精霊の息吹だ。盛夏の太陽のように勢いよく一晩中燃やし、富める者にも貧しき者にも隔てなく分け与えられる。人々は藁を一本手にして集まり、ランタンに火を移して持ち帰る。あしたの豊穣と繁栄を祈りながら。  セルジャンでは王城近くの広場が祭の中心地となる。噴水の石組みに金属の板で蓋をして水を止め、その上に薪を組む。城の至近で大きな火を焚くのは最小限の人員で警備する都合だ。浮かれる群衆はここに集まり、いざこざもここに集まる。  衛兵とは別にクロードが指揮する騎士団からも、出身地が近い者から選抜した交代制で常時二十名が二人一組で城下の見回りをしている。見習いを含めた未婚の若者は早番で、勤務が明ければ祭に参加してよいとするのが、クロードが団長になる以前からの伝統だ。これから伴侶を見つけようという年頃には、出会いや進展に重大な意味を持つ祭だからだ。また、夜間のほうが〝出番〟が圧倒的に多い。熟練度の高い騎士を遅番に厚くするためでもある。  クロード自身はというと、警備の指揮を大隊長に任せ、いち貴族として妻子とともに王城に来ている。  近郊の貴族は昼過ぎに王城に招かれ、貴族だけの祭事を行う。茶会から晩餐、舞踏会の長丁場なので、各々が都合に合わせて出入りしてよいことになっている。  多くの来賓が、王族や中央の権力者が出席する夕刻から夜に集中する。だが、クロードは毎年夜間警備にかこつけて、茶会のうちに帰る妻子に合わせて退出していた。家督はまだ父にあるので、将軍が晩餐から出席すればラヴァル家としての体面は保たれる。騎士団長たる者、貴族も庶民も浮かれる日だからこそ気を引き締めねばといえば、仕事熱心を褒められこそすれ、咎められる筋合いはない。  それは、ほんの思いつきだった。  今年も、例年どおり茶会の終わる頃に席を立とうとした時だ。晩餐前に帰途につく賓客への土産として夏至祭の火を移したランタンが運ばれてくるのを見て、クロードは街の火をシーファに見せてやりたいと思った。  城の馬車寄せは広場とは反対側にあるうえ、祭の当日、庶民であふれかえる広場側の目抜き通りは馬車の通行を禁止している。妻と馬車で移動するシーファは、まだ大きく焚かれる火と祭の熱気を経験したことがない。勤めもあって、普段から一人で馬を駆るクロードは、今日も妻子とは別に愛馬で城に来ていた。  馬に乗せて帰れば、城門の脇から広場のほうへ抜けて、道すがら焚き火見物ができる。シーファは魔法特訓でプルデンス邸に詰めていたし、自身の勤めもあって、ここしばらく顔を合わせていなかった。まだ明るいし、馬に乗るだけでも気晴らしになるだろう──そんな、軽い気持ちだった。
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