第3章 - 10 years later - 火竜の炎

4/5

92人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
 街へ入ると祭の空気が濃くなる。串焼きの肉や、腸詰を挟んだパンや、花冠と小枝をかたどった焼き菓子。食べ物を片手に練り歩く者たち。道端に並ぶテーブルと椅子。酒を飲んでいる者たち。  初めて見る光景に、シーファは身を乗り出してはしゃいでいる。すれ違う通行人は、礼装の騎士と通る〝小さな姫君〟に花冠を差し出す。クロードがひとつ受け取って被せてやると、シーファは目を輝かせて振り返った。  クロードはゆっくり馬を歩かせながら、警備の詰所のほうへ向かっていた。ここに馬を預けて、混雑の激しい広場には徒歩で入る。最も人出の多い夕刻まではまだ間があるが、念のため、手空きの兵を一人借りた。 「お父様、わたし、あのお菓子をいただいてみたいわ」  クロードの手を引っ張ってシーファが露店を指す。夏至の火を中心に踊る人の輪が回り、その外に楽隊と露店が並んでいる。燃える薪の匂いと人いきれ。貴族の暮らしからは見えない、国を支える人々の姿。 「足元に気をつけて。手を放してはいけないよ」  窘めながらも、クロードは娘が喜ぶ様子に頬が緩んだ。 「お父様」  焚き火がよく見えるところに来ると、シーファは突然足を止めた。「わたし、……」  シーファの声は先程までの興奮を失い、喧騒にかき消された。 「何だい?」  クロードは腰を屈めて聞き返す。シーファの右腕がまっすぐに上がり、正面を指した。 「わたし、あそこに行きたい」  娘の幼い顔からは笑みが消えている。指が示す方向には、燃え盛る炎。  呼応するように、シーファの指先に火が灯った。火球に変わるそれを、手首を返して包み込む。 「シーファ!」  クロードが硬直した一瞬の隙に、シーファの手から火柱が上がった。音楽は止み、悲鳴が響く。火柱は大蛇のようにうねり、焚き火に鎌首を突っ込んだ。  シーファはクロードの手を振り払って、一歩また一歩と焚き火に近づいていく。 「応援を呼んで避難誘導しろ!」  クロードは詰所で借りた兵に指示を出した。 「シーファ! 炎を鎮めろ! 大叔母様に教わったことを思い出せ!」  娘の背に叫ぶが、シーファは放心したように両手から炎を立ち上らせ続けている。マルリルの花を燃やした時とは比べものにならない火力。顔を向けているだけで、産毛が全部燃えるような熱さ。もはやクロードも近づくことはできない。〝千里を薙ぐ〟の文字が脳裏に浮かぶ。  このままでは広場から周辺の民家へ、風向きによっては王城にも被害が及ぶ。なんとしても広場で食い止めなければ。せめて水を、と思っても、噴水は焚き火の下だ。 「誰か魔法を使える者はいないか!」  クロードは祈る。最悪の選択肢には気がつかないふりをして。 「騎士団長殿!」  詰所の方面から数名の兵が駆けてきた。 「近くにいた見回り組を集めて、避難誘導、消火水の運搬に手分けして当たっています! 城内からも応援を呼んでいます」 「怪我人は詰所で手当てしています。重傷者はおりません!」  兵たちは口々に報告する。そこへ騎士団の大隊長が馬を走らせてきた。 「馬上から失礼! 団長殿、この勢いでは水で消すのは無理です!」 「わかっている! 誰か魔法が使える者に、制御の方法を指導させる!」  叫ぶクロードの背を汗が伝う。炎熱のせいだけではない。「誰かいないか! 大魔導閣下にも報せてくれ!」 「団長殿! 猶予がありません!」  大隊長も怒鳴る。炎は広場で踊り狂い、隣接する民家への延焼が始まっている。 「術者を、斬るしかありません──ご命令を!」
/98ページ

最初のコメントを投稿しよう!

92人が本棚に入れています
本棚に追加