第3章 - After the day - ドニの街

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 衝立を挟んで左はウゴ、私は右側の寝台に進んだ。正面の窓はすでに幕が降ろされ、枕元に蝋燭が灯っている。  靴を脱いで寝台に手足を投げ出すと、身体中の強張りに気づく。ウゴの気遣いに吹き出して気が緩み、湧き上がっても無視していた恐怖や不安が押し寄せる。鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。涙があふれてくる。  またひとりになってしまった。この先どうなる。私は何か。生きる意味は。  薄い板一枚隔てた向こう、ウゴに気取られないようにしなければ。大丈夫だ、殺されることはない。でも、信用はできない。  跳ね上がるように脈打つ胸を押さえて、固く目を閉じる。まぶたに浮かぶ騎士の笑顔は、もう縋ることすら叶わない幻。  吹き消すように、息を吐き出す。その分で深く吸い込む。呼吸に集中すると、鼓動も落ち着いてくる。  暗い森の中で一瞬夢見た平凡な暮らし。失ったのではない、奪われたのではない。あれは、これから手に入れるものだ。何からどうすればいいか、わからないけれど。煙と血の匂いの立ち込める私の旅路に、唯一見つけた光だ。見せてくれた人は、もういないけれど。  耐えろ。何があっても他人に力を見せてはならない──。  じじ様の言葉が蘇る。  そう、力は見せてはいけないはずだった。どんなに不便でも、じじ様が殺されても。鱗を見世物にされても、盗賊の手下として掻っ払いやスリを働くことになっても、機嫌を損ねて殴られても。  なぜ私は力を使ってしまったのだ。頑なに守っていたのに。きっかけがあったはずだが思い出せない。  いつのまにか眠ってしまっていた。燃えつきた蝋燭に代わって、窓から月明かりが差し込んでいる。  衝立は窓の手前を人が通れるくらい空けて置かれている。寝台からは体を起こしただけで青く照らされたウゴの姿が見えた。両膝をつき、額の前で指を組んでいる。真ん丸い月に窓格子が架かっていた。 「起きたのか」  ウゴは窓に向いたまま声をかけてきた。私は寝台から降りて窓際にウゴと並ぶ。 「月に祈るのは、チチェクの民」  思いつきを口にしてみる。だからどう、というつもりはなかった。  ウゴは跪いた姿勢のまま、指を解いた。影になっていた瞳に月が映る。震える光がふた粒の星になって落ちる。  窓幕の隙間から忍び込む月光のように、あるいは、欠けた窓格子から吹き込む風のように、密やかに、だが、明らかな対比が私の心に生まれた。  誰かの平凡な暮らしを、私は壊してきた。たくさんの人の人生を狂わせ、大切なものを灰にした。「利用されること」を利用して、可哀想な自分に酔いしれて、 支払われる代償に気づかないふりをしていた。  ──力を見せてはならない。  もう守れない、じじ様の言葉。時間は戻らない。  考えろ。私の存在の意味を、これからしなければならないことを。 〝……の時まで〟に。
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