第4章 - After the day - 旅立ちの前夜

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「賢者様!」  声がしたほうを見る。滝のような雨の向こう、進路の少し先で小屋ほどの岩にあがったウゴが弓をつがえていた。 「火を!」  怒鳴るウゴに、カカは寝たまま上半身を捻って火球を掲げた。放たれた矢は火球を貫いて、燃えながらウリズリネの赤い目に突き刺さった。 「鉄矢に樹脂を塗って飛ばすとは考えたな」  揺らめく炎に手をかざしてカカは言った。  ウゴの一撃で敵が怯んだ隙に、私たちは〝川〟沿いにさらに進んだ。岩が重なり合ってできた窪みに体を詰めて、なんとか雨を凌いでいる。降りは弱まってきているが、四人全員びしょ濡れ、着替えの入った布袋は絞れるほど水を吸っていて、立ちあがろうにも空間的余裕がない。私の右にウゴ、ラウル、左にカカ。囲む焚き火でなんとか暖を取っている。 「魔法使いとの連携の基本……です」  ウゴは雫の垂れる前髪を掻き上げた。カカやラウルに比べて若いと感じるのは、目に宿る輝きだろうか。火を見つめたまま、あまり会話を膨らませるつもりはなさそうだった。  魔物は火を嫌う。何か燃やしていれば、立ち上る煙のにおいだけで大半は逃げていく。対峙した場合は魔法で撃退するのが早いが、肝心の魔法が使えなければ、分が悪い肉弾戦でなんとかするしかない。  ウゴは鉄でできた矢に可燃性の樹脂を塗って放った。ただの矢なら、ウリズリネは手負の獣と化してさらに私たちを追ってきただろう。カカの火球を潜って火をもらった樹脂は、豪雨の下でも少しの時間燃え続ける。矢が急所に突き立つ痛みと忌まわしい炎で、〝食事〟どころではなくなったらしい。 「そんな手があったなら、なぜ最初に使わなかった?」  恨めしい気持ちで私は聞いた。着たままではうまく水気を切れない袖が、鱗に張り付いて不快だ。 「鉄製は三本しかなかったんです。旅の装備には重いし高すぎる」  ラウルが背後の岩の隙間に生えている草を毟って火にくべた。薄い葉はすぐに燃え尽きた。焚き木になりそうなものはほかにない。魔法なら濡れていても生木でも燃えるが、火は火だ。燃えるものがなくなれば、いずれ消える。 「奴らの領域に踏み込んだほうが悪い」  カカが指先から魔力を継ぎ足した。  魔法が壊した環境に魔物が湧くのは、再生への第一段階だと言われる。自然がありのまま回復するために人を寄せつけないようにしているというのが通説だ。魔法で魔物を排除した土地はさらに荒れ、回復しないまま人の手が入る。そして再び魔物が現れる。 「お前はもう少し理屈を学べ」  濡れた煙管に自分の指で火を点し、吐き出す煙とともにカカは言った。さすがに摺付木は使い物にならないようだ。 「雨足がだいぶ弱くなりました。そろそろ出ましょう。今なら日暮れ前にはこの荒地を抜けられる」  ラウルの提案にカカとウゴは頷いた。 「まだ降っているけど?」  私は驚いてラウルを見た。 「ええ。でもここにいても体は乾きませんし、民家のあるところまであと少しのはずですから」  言うと、ラウルは早くも荷物を背負いだす。「このまま夜を迎えるほうが危険では」  ラウルの言葉で、一つ残った赤い光を思い出した。あの個体はまだ生きている。最初は何匹もいた。火が絶えたら、またいつ襲われるかわからない。 「では」  ラウルに促され、あとの二人が立ち上がる。私も、まだ疲れの取れない脚で雨の中へ踏み出した。  もう歩けない。まだ休んでいたいよ……。  頭の中で、子供の自分が駄々をこねる。じじ様を困らせて、それでも昼間のうちに距離を稼がなければならなくて、じじ様に背負われて旅を続けた。  そういえば、あの夜、じじ様の話をしたんだった。カカと、二人で──。
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