第4章 - After the day - 旅立ちの前夜

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 つま先が屋根から離れた。目前のカカは私にかぶりつきそうな勢いで迫っている。腕に食い込む指が骨にまで届きそうだ。 「痛い……」  絞り出した一言に、カカははっとした様子で私を下ろした。しかし束縛を解くつもりはないらしく、両手で私を挟んだまま聞いてくる。 「武器に毒が塗られていただと? それは本当なのか?」 「そうだ」  急に狼狽えられてこちらまで不安になったが、涙は引っ込んだ。澄んだ視界で大男を見上げる。 「毒も作れるんだろう? 薬を作れるなら」 「毒は、使わないことはないが……基本的に俺たちの技術は狩りのためのものだ。狩りでは毒は使わない」  ぐっと、再び強く掴まれる。 「どんな毒だった?」  月明かりでカカの目が光る。私は唾を飲んだ。あったことをそのまま話すべきか迷ったが、カカの真剣な眼差しに圧されて、毒を受けたあとのクロードの様子だけ伝えた。  傷自体はさほど深くはなかった。川を渡ってからしばらくして血を吐いて死んだ。  ──私に心配させまいとして明るく振る舞うその裏で、どれほどの苦しみに耐えていたのか。思い出して胸が詰まる。 「それは鉱物毒だな」  カカの声は落ち着きを取り戻していた。「動植物の毒なら、水で流れる」  言って、腰を下ろす。私もそれに倣った。長いこと掴まれていた部分に夜風を感じる。  鉱物毒は石から採る。まず鉱脈を持っている必要があるし、掘り出すには組織立った人手とそれなりの道具が要る。 「〝蛮族〟の俺たちには扱えないシロモノだ。密かに売られている物もあるが、高い」 「帝国から指示があったのでは?」  口を挟む私に、 「俺たちは誇り高い〝知の巨人〟だ。武器に毒を塗るような野蛮な真似はしない」  カカは口元に手を当てて考え込む素振りを見せた。「いや、人攫いに加担する時点で誇りは地に落ちているか。……だとしても、おかしい」 「何が?」 「帝国からの指示なら俺の耳に入らないわけがない。その前に、生け捕りに毒は無用だ。標的を殺しかねないからな。矢を無闇に射掛けるのも、本来の目的からずれている」  作戦では地形を利用して後方護衛を分断し、戦力を削ってから奇襲をかける段取りだった。カカはその通り作戦が実行されたものと思っていたようだが、私の記憶とは食い違っている。 「火竜姫を隠れ蓑に、別の目的を果たそうとした奴がいる。俺たちは利用されたんだ」  握った拳を振り下ろす先に迷って、吐き出す息とともに脱力する。沈黙から怒りとも哀しみともつかない感情が伝わってきた。  死ぬはずだったのは、私なのか? アンブロワーズはなぜ何もなかったことにした?  深入りしてはいけないと直感が告げているのに、私の頭は断片的な情報をつなぎ合わせようとしている。知ったことかと撥ねつければいい。そう思うのに、口を開けた謎に魅入られて、真実に手を伸ばそうとしている。 「それで、どうする」  カカが私を見ていた。 「どのみち俺は母を助ける、その時にお前がどう動くかは、自由だ。──考えておいてくれ」  カカ自身もまだ新しく出てきた可能性を消化しきれていないのだろう、後は言葉少なに私を部屋へ戻して去った。ウゴとラウルには言うなよと念を押して。  この男とはもっと話す必要がある。だが、今夜はもう何も考えずに眠ろうと思った。明日はきっと、かなりの距離を歩くのだから。
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