第5章 - 10 years later - 画策

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 リオネルは執務室で寝椅子に体を預けていた。午後の日差しは半島最北のこの地にも遅い夏の訪れを告げている。初めは心地よいが次第に暑くなるこの場所は、寝過ごす余裕のない今、ほどほどの休憩を取るのに丁度良い。  火竜領現領主は火竜公レアであるが、その配偶者リオネル──ラビュタン家は半島統一以前は小さくとも一国の主、統一以降は侯爵としてこの地を治めてきた。  レアの火竜公は一代限りの栄誉のため、婚姻は没後にラビュタン家が名実ともに領地を取り戻すために必要な政治だった。  王子として生まれた身にとって結婚は道具に過ぎない。守るべきものに最良の結果をもたらすならば、それが結ばれるべき相手なのだ。たとえ鱗が生えた小娘であっても。  腹部の膨らみが目立つようになり、レアは階段の昇り降りも辛そうになった。それでも仕事を手伝うと言う妻をサリーナに任せ、リオネル自身は子供が生まれてから十分に時間が取れるよう、片っ端から仕事を片付けている。  リオネルの額に汗が浮かぶ。いつもならここで起き上がって仕事を再開するが、疲れが溜まっているのか、今日は瞼を閉じたまま、身じろぎもしない。  火竜姫レアは、着いたばかりの頃は常に緊張しているようで、連れてきた侍女サリーナにしか心を開いていなかった。  統一戦線で活躍した魔法使いといっても、まだ少女だ。新しい土地で不安がるのも無理はないと、ラビュタン側は茶会や食事にも顔を出さない新領主を放っていた。実権を手放したくない旧王家にとっては、表に出てこないなら、そのほうが都合がいいからだ。  しかしリオネルは違った。いかに政治とはいえ、自分が妻に迎える予定の人物である。領主としての仕事や振る舞いを身につけさせ、軍内での配置も決めておかねば、火種を引き取った意味を領民に示せない。  一方で、大人の事情に翻弄される少女が不憫でもあった。北部で山岳地帯も多い、豊かとは言い難い土地で、大陸の脅威と隣り合わせながら一生を過ごすのである。リオネルを夫として気に入らなければ恩賞どころかただの地獄だ。  リオネルは日々の食事も必ずレアに声をかけ、打ち解ける糸口を探していた。  人前に出たくないのならと、花や本を贈ると、サリーナが丁寧な感謝の言葉を綴った手紙を持ってきた。そこから他愛のない挨拶を手紙でやりとりするようになった。  やっと散歩に連れ出せたのは、半年経ってからだった。レアは汗ばむ陽気でも首から下は肌を見せないようにしていたが、太陽の下で咲く花に見とれ、風に乱れた髪を恥ずかしそうに押さえる仕草は、ほかの同じ年頃の少女と変わらず可憐であった。  庭の石造りの腰掛けに二人で座って、結婚について話したことがあった。リオネルが先に腰を下ろして隣を勧めると、レアは背を向けるようにして座った。  近いが、顔を見ずに言葉を交わせたのが良かったのかもしれない。部屋から出なかったのは歴史ある旧王家に遠慮してのことで、これから先も自身が出しゃばるつもりはないと、レアはおずおずと語った。すべてわかって諦めている素振りに寂しさを覚えたのをリオネルは思い出す。自分でも政治だと割り切っていた結婚だったが、この人を幸せにしたいと強く思った瞬間だった。 「ここは、君にとってはこの石のように冷たく居心地の悪いものだろう。でも君が望めば敷布を掛けることもできるし、木製の椅子を持って来させることもできる」  自分の口から出た台詞は忘れたいが、忘れられない。 「ただ君が冷たい石に座り続けると決めているなら、僕も一緒に座って温めよう……」  そこで急にレアが笑い出した。 「独特な詩才をお持ちですのね」  レアを振り返るとまだ肩が笑っている。 「王都から来た君には、田舎くさかったかな?」  リオネルはレアの肩を抱いて振り向かせた。笑顔を見られると思って。だが、彼女は泣いていた。驚いて手を離す。真っ直ぐに見つめてくる瞳は美しかった。 「ごめんなさい、嬉しくて」  微笑むレアを、リオネルは抱きしめた。
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