第5章 - After the day - 目覚め

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 カカと言葉を交わして間もなく、ザカットの砦に着いた。中に入る前に馬車から降ろされる。門壁の上には数名の弓兵がこちらを伺っていた。地上には門番だけとは思えない数の兵士が剣を抜いて待機していて、私の一挙一動を見つめている。事前に連絡を受けての歓迎だろう。千里をなんとかの謳い文句を信じているなら、警戒するのは当然かもしれない。  兵士の一人が私に剣を突きつけ、別の一人が私の前に立つ。鎖が抜けないように絡みついていることを確認すると、さらにもう一人がついて、私の袖を捲り上げた。冷たい風が鱗を撫でていく。 「本物だ」  一瞬で張り詰めた空気に、先程まで注がれていた視線が好奇心混じりだったのに気づく。彼らは、噂の火竜姫がこんな小娘でどう思ったか。少なくとも、怪しい動きを見せれば即排除するつもりであることはわかった。  検分が済んで、番兵に案内されるままラウルが私の鎖を引く。ウゴと挟まれる形で奥へと通された。カカはさらにその後ろを歩いてくる。  貴族の屋敷のように庭園はなく、門から左手に馬車ごと通れる幅の石畳が緩やかな上り坂で砦の二階か三階部分まで回り込んでいる。攻めてくる敵を誘導して上から射掛けるための造りだ。だが私たちは反対方向の、外壁の一階に穿たれた通用口を指示された。待っていた騎士が先導を替わる。  細い通路はすれ違うのがやっとの幅。石畳を登る敵の背後を襲う、魔導士の吐き出し口だ。私も配置されたことがある。ここにも魔導士がいるのだろうか。  明り取りから柔らかく陽の光が差している。一日はまだ始まったばかりだ。  通された部屋は十数歩で渡り切れるくらいの広さだった。石床で、明るいが空気はひんやりしている。殺風景な内装に不似合いな、凝った細工の椅子が奥にひとつ。ほかには何もない。椅子の正面に私は跪かされ、ラウルとウゴは私の両脇で畏まっている。カカは後ろか。姿が見えない。  そこに現れたのは、騎士とは違う装いの若い男だった。金銀の刺繍で縁取られたガウンを纏って、大股に椅子に歩み寄り座る。  ラウルの言っていた「皇帝陛下の御子息の一人」とやらだろう。左右に騎士団幹部らしい男たちが身構える。 「これがアンブロワーズの火竜姫か」  椅子の男は頬杖をついて私を見た。つるんとした顔は剣など振ったこともなさそうな印象だ。 「答えよ。火竜姫か?」  男の声が部屋に響く。私は頷いた。 「レアだな?」  その問いには、すぐに反応できなかった。長いことそう呼ばれていたはずなのに、会食で隣り合わせただけの知人のように、レアという名は私との間に隙間を作っていた。 「レアだ」  カカの声が頭上を通り越して前方へ移動する。無遠慮に椅子のほうへ進んでいく後ろ姿が視界に入った。「今はマルリルと名乗っている。……それでよろしいか、イリネイ閣下」 「賢者殿。私はこの女に聞いている」  イリネイと呼ばれた男は立ち上がってカカに向き合った。見上げる格好になって舌打ちする。  カカは賢者と呼ばれているが、この男より高い身分というわけではなさそうだ。だが、ここまで従っていたラウルたちが平伏しているこの場で、一人自由にしている。 「確認する」  イリネイはカカを押し退けて私の正面に立った。 「自分で名乗れ。そのくらいの礼儀は半島でも仕込まれているのだろう?」  忙しなく動く薄い唇から浴びせられた言葉が私に、プルデンスに叩き込まれた定型句を思い出させた。 「火竜姫レア・ラヴァル、アンブロワーズ国央軍魔導師団、大魔導麾下」  イリネイの目を見て答える。「……だった。今はただのマルリルだ」  レアとして受けた貴族教育が、マルリルになった私の矜持を支える。罪人扱いに怖気付く必要はない。  しかしイリネイは私がしおらしさを失ったのが面白くないようだった。こちらを睨み返しながらラウルから鎖を取り上げ、力任せに手繰る。私は腕が伸び切った状態で石床に引き倒された。 「閣下!」  ラウルの短く発した声が、ほかにイリネイを静止する術がないことを示していた。
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