第5章 - After the day - 目覚め

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 打ち付けた肘と腹が痛むのを堪えて体を捩り、なんとかイリネイに視線を戻す。瞼が攣りそうなほど上目にしてやっと、嫌悪を露わにした表情を捉えられた。 「では次は、本人かどうかを改めよう」  イリネイは鎖を放り投げた。石床でけたたましく金属音が弾ける。「裸に剥け」  その一言に、砦の面々も驚いた様子だ。誰一人として動く者はいなかった。 「〝千里を薙ぐ〟という人に非る力の持ち主は、鱗が生えているそうじゃないか」  爪先が一歩、二歩と近づいてくる。 「お前がやれ」  イリネイの命令は誰に向けたものなのか。私にはもう足元しか見えない。 「……できません」  ウゴの声。 「チチェクの残党が、歯向かうつもりか?」  イリネイは嘲った。無理を承知で言っているのだ。そしてやはり、ウゴはチチェク人だった。 「畏れながら閣下、使命は火竜姫をお連れするところまで。我々はもう任務を果たしています」  ラウルが取りなすが、 「まだ私はこの目で確かめていない。今ここで証拠を見せよ」  イリネイは一蹴する。「お前がやるか?」 「腕だけで十分でしょう。──失礼」  ラウルは私の傍に膝を突いて助け起こし、束ねられた私の手首を下から持ち上げて袖を捲った。前腕の外側を覆う鱗が剥き出しになる。  イリネイは不愉快な虫を摘むように、私の鱗をひっぺがした。不意の出来事に、私は思わず悲鳴を上げた。鱗の剥がれた跡に血が滲む。 「本物のようだな。ふん、不気味な女だ」  満足そうな笑みを浮かべた瞬間、イリネイの表情が固まる。鱗を摘んだ腕を、カカが掴んでいた。 「もう玩具を欲しがる歳ではないはずだ」  カカが見つめただけで、鱗は燃え上がった。イリネイは慌てて指を離し、カカを睨む。カカは炎ごと鱗を握り潰した。灰すら残っていなかった。 「無礼な!」  カカの手を振り解いてイリネイは怒鳴る。「私を誰だと思っている!」 「ボブロフ皇帝第十三皇子、帝国西部指令閣下」  カカが跪くと、イリネイはまた舌打ちして椅子へ戻った。 「火竜姫はこちらが招いた客人。ここまで自分の意思でお越しいただいた。まずは、ご用件を」  改まってカカに話を振られ、 「アンブロワーズは追手もかけず、襲われた事実を揉み消したらしいな」  イリネイは脚を組んで踏ん反り返った。  私を襲うために国境を侵している。アンブロワーズも帝国の仕業であることはわかっているはずだ。 「普通なら宣戦布告と見做すところだが、お前なしでは勝ち目がないと踏んだのだろう。国民の安心材料でもあった火竜姫が行方不明なのもまずい。半島を統一しても所詮は臆病な田舎王家よ」  私を拐う目的はアンブロワーズから主戦力を奪うと同時に半島へ攻め込む口実を得るためだったのか。戦いにならなくても火竜姫が手中にあれば優位に交渉できる。  しかし、アンブロワーズは事件をなかったことにしてこれを躱した。私を失っても、元々辺境へ追いやろうとしていたくらいだから、名前だけが生きていれば足りる。  計画の立役者は半島と大陸に分かれたチチェク人。実行部隊がカカの一族……。 「アンブロワーズが別人を火竜姫にした以上、この女はもう交渉の切り札にはならない。アンブロワーズとしては、もはや死んでもらったほうが嬉しいかもしれないな」  残る価値はその力の解明と有効利用。カカが言っていた〝掛け合わせ〟をはじめとした実験だ。 「本部は、きっちり〝躾けて〟から送るようにと言ってきている。力の程度も調べて、噂ほどのことがなければ用済みだとも」  この後どうなるか、私の運命はイリネイ次第ということか。正面の椅子、美しい刺繍ガウンを纏った皇子の、頬杖の上に乗った顔は不敵に歪んでいた。
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