第6章 - 10 years later - 粉屋の二階

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第6章 - 10 years later - 粉屋の二階

 シェブルーの粉屋の二階でイヴェットは出奔後初めての夜を迎えた。並べた粉袋が寝床だと言われてサリーナは愕然としていたが、捜索の手が回ることを考えると宿屋には泊まれないのだから仕方ない。  たったひとつの部屋は倉庫になっていて、二階だが裏手に直接上がれる口があるのは良かった。店が閉まるのを待たなくても家主に顔を見られず中に入ることができた。 「閉店したからもう誰も来ない。店への粉袋の補充があるから朝は早い」  イヴェットたちを救った青年はウゴと名乗った。「夜明け前に起こしに来るからそのつもりでいてくれ」 「あなたはここで働いているの?」 「半分は用心棒として雇われてる」  ウゴは、普段は自分が寝る時に使っているだろう毛織を粉袋に掛けて、イヴェットとサリーナに勧めた。イヴェットはサリーナに支えられてゆっくり腰を下ろす。  裏手口の戸がノックされ、ウゴが灯りを戸のほうに向けた。三回、二回と打ち分けた音を確認して錠を開ける。 「古着と食べる物を買ってきました」  入って来た男はラウルというらしい。ウゴより年嵩がいっていそうに見えるが、パンを差し出してくる腕はウゴ以上に太く締まっている。この人も用心棒稼業なのだろうか。イヴェットは受け取ったパンを二つに割って片方をサリーナに渡した。 「食べながら話そう」  床に腰を下ろすウゴに続いてラウルも座る。彼らがパンを分け合って齧り始めたので、イヴェットはサリーナに目配せして自分の分をちぎって口へ運んだ。水分が少なく固いが、噛むたびにしみ出るような味わいがある。  無法者から助けてもらった時、ウゴはイヴェットを「にせの火竜姫」と断じた。しらを切り通せばいいものをそうしなかったのは、当てずっぽうで言っているとは思えなかったからだ。  リオネルが代理に立つことが多かったとはいえ、領主として公の前に出たことはある。イヴェットの顔を記憶していたとしても不思議はない。だが限られた者しか知らないはずの「にせ」の事実を知っている。  だからといって責めるでもなく、城へ追い返すでもなく、ウゴはイヴェットとサリーナをここまで連れてきた。 「訳を教えてくれないか」  ウゴは三口ほどでパンを食べ終えていた。まだ鳥がつついた程度のパンを両手で包み、イヴェットは考える。どこまで話すべきか。 「どうした? ただの夫婦喧嘩なら帰ってもらうぜ」  水の入った瓶を寄越してウゴは催促する。イヴェットはそれを一口飲んで、瓶を預けようとサリーナを見た。そしてはっとした。受け取る手は震えて、膝の上のパンはまだ少しも減っていなかった。  彼女も国の都合で人生を狂わされた一人だ。私はさらに自分の都合に巻き込んでしまっている──。  イヴェットはお腹をひと撫でして呼吸を整えた。 「セルジャンに本物が現れたとの知らせがあったのです」  自分が偽物だったことが明るみに出るのは時間の問題。そうなれば旧ラビュタン王家を騙した罪で処刑される。中央が味方してくれるとは思えない。 「この子を産んだ後でなら、どんな咎でも受けましょう。でも、それまでは死ぬわけにはいかない」  イヴェットの話をウゴとラウルは黙って聞いていた。 「サリーナは、明日城へ帰します。もしお願いできるなら、迷惑ついでに送り届けていただけないでしょうか」 「レア様!」  サリーナが腰を浮かし、パンが床に転がり落ちた。それをウゴが拾い上げる。 「あんたはどうする」 「自分のことはなんとかします」  意志を込めたイヴェットの視線を、ウゴは片膝を立てた姿勢で受け止めた。  ひと呼吸分の沈黙が流れた。イヴェットはその間、瞬きもせずウゴの目を見ていた。 「マルリル、か……」  不意にウゴの表情が緩む。「懐かしいな」 「本当に」  ラウルが頷いた。「マルリル」を花の名前でしか知らないイヴェットは、サリーナと顔を見合わせる。 「早く食えよ」  ウゴは拾ったパンを咥えて布袋を漁った。取り出した小さな袋をサリーナに渡す。中身は干した果肉と木の実だった。イヴェットは自分のパンを半分サリーナに、袋から木の実と果肉をひとつまみ取った。 「しかし困ったことになった」  ラウルは顎を掻きながら言った。「街中に衛兵が増えていました」 「火竜姫を捜しているんだろ」  ウゴの返事にラウルは首を振る。 「人探しにしては物々しい。どうも、スティナ山脈のほうの砦に援軍を出すようです」 「ついにお出まし、か。そうなると、あんた──」  ウゴの目がイヴェットに向く。 「私のことは、〝イヴェット〟と。……サリーナも、これからはそう呼んでね」  イヴェットが微笑むとサリーナは頷いた。 「イヴェットは俺たちと一緒に来てもらうことになる」 「なぜ?」  イヴェットの表情が固まる。 「元々拐うつもりだったからさ」  ウゴはサリーナから戻ってきた袋から木の実を取って口に放り込んだ。
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