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「なんですって?」
「ウゴ」
イヴェットの驚嘆にラウルの静かな声が重なる。
「いいだろ、もう」
ウゴは木の実を噛み砕きながら、後ろの壁に寄りかかった。灯りから遠のいた顔に影が差す。
ラウルはため息まじりに話し始めた。
「私たちがここに来たのは半年ほど前です。まだ冬で、あなたにはまだ妊娠の兆候がなかった」
火竜公を行方不明にし、帝国の街を焼く。その後で付近で火竜公の身柄を、火竜軍を装った〝物言わぬ〟兵士たちと共に拘束したことにすれば、自作自演は完結だ。十分に帝国からオクタヴィアンへ攻め入る口実となる。
「では、あなたたちは帝国軍?」
「そうだ」
イヴェットの問いにはウゴが答えた。「動じないんだな」
「ただ腕が立つだけの人ではないと思ってはいました」
イヴェットは隣で震えるサリーナの手を握って言った。
「帝国側から戦争を仕掛けるのに口実なんて要らないでしょう。私が邪魔なら暗殺でもいいのに、なぜそんな回りくどいことを」
「そう簡単にいかないのが国同士の付き合いさ」
半島オクタヴィアンが大陸ボブロフを長いこと牽制し続けてこれたのは火竜公レアの存在あってこそだ。チチェクでの実績を〝千里を薙ぐ〟の謳い文句で威力を過大に広め、しかしそれを積極的には見せないことで、大国との均衡を保っていた。表面上は。
「でも帝国は最初から知っていたんだ。火竜領にいるレアは偽物だってことを」
十年前の事件で本物は死んだ。中央もそれを信じていたから、別人をレアに仕立て上げて何もなかったことにする道を選んだ。ところが。
「レアは帝国の手に渡っていた。俺たちがやったんだ。うまくいったおかげで、人攫いが得意みたいに思われて、また命令されることになったが」
「そんな……」
イヴェットの声が震えた。サリーナがイヴェットの手を握り返す。
両親に会うことも、王都へ戻ることもできなくなって、ひたすらレアを演じた。すべてが暴かれる日に怯えながら……。帝国は知っていてオクタヴィアンに話を合わせていたというのか。
「この十年はなんだったの……」
「無意味ではありません」
ラウルははっきりと言った。
「帝国にとっても都合が良かったのです。本物が手の内にあることを隠したかった。彼女はマルリルと名を変えて帝国要人の管理下に入りました。その後のことは、我々も知らない。今はこの国にとっても帝国にとっても、あなたが火竜姫レアなのです」
噛んで含めるようなラウルの言葉に、イヴェットは沈黙した。ウゴが二つ三つと口に入れ噛み砕く木の実の音がいやに響いた。ラウルが話を続ける。
「火竜姫妊娠で、帝国は仕掛けられたふりを工作する必要がなくなった。作戦変更で、私とウゴは城下に潜んでいた、というわけです」
こんな近くに帝国兵が! ──イヴェットに、恐怖が初めて実感を伴って押し寄せた。
あの薄氷を踏むような日々でさえ、夫に、ラビュタン家に、仕える兵士たちに守られていたのだ。千里を薙ぐ力の持ち主でないと彼らが知ったら。リオネルの顔が失望に歪むのだけは見たくない。それが処刑よりも恐ろしい。
「イヴェット様……」
サリーナの心配そうな顔。気づくとイヴェットはサリーナの手を離し自分の腕を掻き抱いていた。呼吸が乱れていて息苦しい。
「大丈夫よ」
しっかり発音できている。大丈夫。イヴェットは体の力を抜いてゆっくり息を吸った。
「それで、帝国は今何をしようとしているの? 砦へ派兵って、まさか」
「山脈を越えて帝国様のお出ましだ」
ウゴは壁から背を離して脚を胡座に組み替えた。灯りを引き寄せて自分の前の床を照らす。一息、粉と埃を吹き飛ばすと小さな円形の舞台ができた。
「これがシェブルー、こっちがスティナの砦」
少し離して二つ、水瓶の栓を立てる。
「帝国から二千」
木の実を一つ、スティナに見立てたほうへ置く。
「対して、火竜軍は一万」
干し果肉を五つ、シェブルーに。
「砦で食い止めたいからケチらないだろう。数で圧倒するはず。三千か四千は送るか……」
果肉を二つスティナへ動かす。
「地の利もある。楽勝だ」
ウゴはスティナの〝帝国軍二千〟の実を拾って口に入れた。「でも──」
ウゴは新しく木の実を並べた。一、二、三……、「すぐに増援が来る」
木の実の後ろに果肉を、一、二、三。
「最初の二千は捨て駒だ。退ければ報復の口実になる」
砦の二つ、シェブルーの三つの果肉を取り払う。砦側から帝国勢の木の実と果肉を押し出して順に栓を倒していった。
「帝国は内部の紛争で国外侵攻どころではないと聞いているわ。それに中央からも応援が来る」
イヴェットは粉袋から降りて床に膝を突き、シェブルーの栓を立て直した。即席の戦略盤越しにウゴを睨みつける。
「残念だが援軍は来ない」
「根拠は?」
「本物がセルジャンに現れたんだろ? なら、兵力を王都の守りから減らせない。今さらマルリルがアンブロワーズに忠誠を誓うとは思えないしな」
ウゴは盤上から木の実だけを摘んで食べた。イヴェットは、拾い上げた栓を固く握りしめていた。
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