第6章 - 10 years later - 粉屋の二階

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「いずれにしても近いうち戦いが始まる。イヴェット、あなたはこのまま姿をくらましてしまったほうがいい」  ラウルが取り残された果肉を袋に戻しながら言った。「火竜姫の秘密はじきに露呈します」 「それであなたたちに、帝国についていけと?」 「帝国……ね」  ラウルは目を伏せてふっと短く息を吐いた。袋の紐を絞ってウゴに投げる。ウゴは飛んできた袋をろくに見もせず受け取った。 「どうします、ウゴ」  訪ねるラウルにはウゴの考えが読めているようだ。 「月満ちて花輝けり、か。俺はあの歌は好きじゃないんだ」  そう言ってウゴは投げ出した脚を引きつけ、すぐ立てる姿勢になった。 「月は花の引き立て役じゃない。尖っていたって綺麗だ」  懐に手を入れる仕草は、イヴェットには武器を取り出すように見えた。思わず身構えるほど、ウゴの目にはさっきまでとは違う鋭さが宿っていた。抜くのはナイフか? 「あの!」  一瞬の緊迫を解いたのは、サリーナだ。ウゴは面食らった様子で動きを止めた。イヴェットとラウルもサリーナに注目する。 「あの……もう遅いので、お話の続きは明日にしませんか?」  サリーナは震える声で続けた。「イヴェット様とお子様にお休みいただかないと……」  ウゴとラウルの視線がイヴェットへ向く。イヴェットは床にへたり込んだ格好で二人の視線を受け止めた。 「──こりゃ失礼」  ウゴは胡座に座り直して頭を掻いた。懐から出した手には何も持っていなかった。 「そうですね、込み入った話は明日、場所を変えてから、改めて」  ウゴの目配せを受けてラウルは買い出しの袋から古着を出してサリーナに渡した。 「今の季節はこんなものでも掛けて寝るには十分でしょう。街に出る時は羽織れば荷物にもらならないし、その召し物よりは大衆に紛れられる」 「明日の朝、店が開く前にずらかる。悪いが火竜姫さんはもうしばらく付き合ってくれ」  ウゴは立ち上がると鍵束の輪に指を通して回しながら、片手で器用に手荷物をまとめて出入り口に向かっていく。  ウゴの寝ぐらといっても、ここは倉庫だ。外からも錠をかけられる。イヴェットは、この時やっと自分の甘さに気づいた。目的はまだわからないが、選ぶのは彼らであり、イヴェットたちは朝彼らがここを開けるまでは留まる以外に道はない。 「待って!」  思わず呼び止めていた。「サリーナは、明日の朝解放されるわね?」  ウゴは振り返らない。扉に手を掛けて止まっている。 「送ってやるほどの余裕はない」  開いた扉から吹き込む夜風と共に、ウゴの呟きが返ってきた。  サリーナ一人で城まで帰れるか? 早朝なら暴漢に遭遇しにくいのか。……しかし無事城へ着いたとして、これから帝国との戦いが始まるかもしれない。いや、その前に偽物と共に送られてきた者としての責めを受けるかも──。  様々な考えがイヴェットの頭を駆け巡った。その間にウゴの後ろ姿は部屋の外へ、扉は閉じようとしていた。 「待ってください!」  サリーナが駆け寄り、扉を掴む。再び広がった隙間からウゴが首だけを戻した。 「手を挟みたくなかったら離しな。あんたには用はない、なんなら今出てってもいい」 「私も、連れて行ってください」  サリーナは両手で扉につかまったままウゴを見上げる。腕組みしたウゴは肩で扉を押した。体半分が部屋の中に入る。その勢いでサリーナは後ろによろけた。イヴェットには彼女の真意がわからない。床に座っていてすぐに立ち上がれないこともあり、見守るしかできなかった。 「悪いが決めるのは俺たちだ」  ウゴはサリーナに詰め寄った。「お荷物は要らない」 「小間使いでも、なんでもします! イヴェット様はこれからが大変なのです!」  サリーナは、イヴェットの世話のためについていくと言いたいようだ。イヴェットは胸を締め付けられる思いで彼女を見つめた。  この先、どんな扱いを受けるかわからない。サリーナを巻き込みたくはないが、一緒にいてくれるだけでも心強い。それに、火竜領の今の状況では、一人で置いていくよりはいいかもしれない。 「私からもお願いします」  イヴェットは居住まいを正してウゴに言った。 「イヴェット様……」  サリーナもイヴェットの横に座ってウゴに目を合わせる。二人分の懇願の眼差しに、ウゴは舌打ちした。 「好きにしな。来るなら自分の食う分くらいは働いてもらうぜ」  ウゴは二人に背を向けた。「話は終わりだ」  扉が閉まり、錠をかける音がして、階段を降りる足音が遠ざかっていく。静けさが訪れるとサリーナは泣き出した。イヴェットはその背をさすりながら、リオネルのことを考えていた。
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