第6章 - 10 years later - 粉屋の二階

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 西の空が赤みを増した頃、疲れたマルリルが木切れを放り出した。草地の上に足を投げ出して座る様子は、ラヴァル家に連れて来られたばかりの当時を思い出させる。あの頃はクロードもまだ大人と呼べる歳ではなかった。  少し離れてクロードも腰を下ろした。衣服は絞れるほど汗で湿っていた。 「お前は暑くないのか」  言いながら、クロードは騎士服を羽織った。マルリルも額に髪が張り付いている。それでもまだ外套と襟巻きに包まっていた。 「少し風を入れろ。熱が篭ったままなのは体に悪い」  クロードは座ったままマルリルに背を向けた。  一呼吸した後に、背中に柔らかな感触がのしかかった。マルリルが体を預けてきたのだった。 「私を、捕まえに来たんだろう?」  囁きが、背後からの風に乗って聞こえてくる。「アンブロワーズに突き出すのか」 「……そうだ」 「従わなければ?」 「殺せ、と言われている」  背中は黙った。 「俺がやらなければ、別の誰かが命ぜられるだけだ。叔母上が先に会いたいと言っている。望みを掛けるなら、そこしかない」  顔が見えないせいか、クロードの舌はよく回った。十年後の再会でこんな話しかできないなら、ずっと木切れで手合わせを続けていたほうがいいと思いながら。 「クロード、こっちを見て」  マルリルはクロードの肩に手を置いた。振り返るとマルリルは襟巻きを外していた。寛げた外套の首元から、鱗に覆われた鎖骨が覗いていた。 「お前、それは──」  初めて見る光景にクロードは言葉を失う。 「年々増えていってる。今年は特に早い」  マルリルは襟巻きを巻き直した。「もう来年だからな、〝凍てつく夏至〟は」 「凍てつく夏至?」 「半島も含めたこの大陸の穢れを燃やし尽くして、永遠の冬が訪れる」 「何の話だ?」 「使命だよ。この力と、鱗と、流れる血と。すべては、凍てつく夏至のために用意された生贄だ」  マルリルは短く息を吐く。「私はもうじき、人ではなくなる」 「……お前は、お前だ」 「それは最初に聞いた」  笑って、白々しさに自分でも気づいたのか、マルリルは目を伏せて襟巻きに潜った。 「この十年で色々掴んだけど、まだわからないこともある。私は、まだ死ねない。アンブロワーズに構っている時間もないんだ」  最初から決まっていた彼女の運命の、ほんの寄り道でしかなかった。この国も、ラヴァル家も、クロードとの出会いも。  あの時守ってやれれば、追いかけていればと悔やんでいた。だが、それはクロードの思い上がりだった。彼女はもっと大きな流れの中で、一介の騎士の手の届かないところに生きている。今、すぐ隣でちんまりと俯いていても。 「ごめん。また迷惑をかける。でも、もう行かなきゃ」 「レア……」 「マルリルだ」  むくれて顔を上げる彼女は、かつての少女ではない。 「マルリル」  クロードはそっと彼女に指を伸ばした。髪についた花びらを摘んで風の中に送り出す。 「生きろよ」
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