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西の空が赤みを増した頃、疲れたマルリルが木切れを放り出した。草地の上に足を投げ出して座る様子は、ラヴァル家に連れて来られたばかりの当時を思い出させる。あの頃はクロードもまだ大人と呼べる歳ではなかった。
少し離れてクロードも腰を下ろした。衣服は絞れるほど汗で湿っていた。
「お前は暑くないのか」
言いながら、クロードは騎士服を羽織った。マルリルも額に髪が張り付いている。それでもまだ外套と襟巻きに包まっていた。
「少し風を入れろ。熱が篭ったままなのは体に悪い」
クロードは座ったままマルリルに背を向けた。
一呼吸した後に、背中に柔らかな感触がのしかかった。マルリルが体を預けてきたのだった。
「私を、捕まえに来たんだろう?」
囁きが、背後からの風に乗って聞こえてくる。「アンブロワーズに突き出すのか」
「……そうだ」
「従わなければ?」
「殺せ、と言われている」
背中は黙った。
「俺がやらなければ、別の誰かが命ぜられるだけだ。叔母上が先に会いたいと言っている。望みを掛けるなら、そこしかない」
顔が見えないせいか、クロードの舌はよく回った。十年後の再会でこんな話しかできないなら、ずっと木切れで手合わせを続けていたほうがいいと思いながら。
「クロード、こっちを見て」
マルリルはクロードの肩に手を置いた。振り返るとマルリルは襟巻きを外していた。寛げた外套の首元から、鱗に覆われた鎖骨が覗いていた。
「お前、それは──」
初めて見る光景にクロードは言葉を失う。
「年々増えていってる。今年は特に早い」
マルリルは襟巻きを巻き直した。「もう来年だからな、〝凍てつく夏至〟は」
「凍てつく夏至?」
「半島も含めたこの大陸の穢れを燃やし尽くして、永遠の冬が訪れる」
「何の話だ?」
「使命だよ。この力と、鱗と、流れる血と。すべては、凍てつく夏至のために用意された生贄だ」
マルリルは短く息を吐く。「私はもうじき、人ではなくなる」
「……お前は、お前だ」
「それは最初に聞いた」
笑って、白々しさに自分でも気づいたのか、マルリルは目を伏せて襟巻きに潜った。
「この十年で色々掴んだけど、まだわからないこともある。私は、まだ死ねない。アンブロワーズに構っている時間もないんだ」
最初から決まっていた彼女の運命の、ほんの寄り道でしかなかった。この国も、ラヴァル家も、クロードとの出会いも。
あの時守ってやれれば、追いかけていればと悔やんでいた。だが、それはクロードの思い上がりだった。彼女はもっと大きな流れの中で、一介の騎士の手の届かないところに生きている。今、すぐ隣でちんまりと俯いていても。
「ごめん。また迷惑をかける。でも、もう行かなきゃ」
「レア……」
「マルリルだ」
むくれて顔を上げる彼女は、かつての少女ではない。
「マルリル」
クロードはそっと彼女に指を伸ばした。髪についた花びらを摘んで風の中に送り出す。
「生きろよ」
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