第1章 - 10 years later - あれから十年

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 火竜姫は現在も北部国境で、ボブロフとの均衡を保つのに一役買っている。こちらからは攻めないが、国境を犯せばまず千里を薙ぐほどの火炎で迎える。言葉はなくとも、この十年の平和を見れば、牽制は成功していると言っていい。  今の火竜姫はクロードの知るレアではない。予期せぬ襲撃により火竜姫は死んだと、帰還したクロードが報告した時、国は極秘裏に魔法使い見習いの中から同じ年頃の少女を見繕って国境へ送った。数年前には近隣諸侯から婿を取り、現在は火竜公として北部国境周辺の領地を治めている。  火竜姫の身には何事もなかったかのように取り繕っても、襲撃の主犯は追及することになるだろうとクロードは思っていた。だが出兵は指示されなかった。護衛についていながら守れず、一人帰ってきた騎士に咎めもなかった。何もするなと、父に、将軍に命じられれば、詮索は許されない。どのみち、最大出力の炎ですべて燃え尽きた。味方も、敵も犬たちも。  意識が途切れる寸前に口走った夢物語は、選ぶこともできた道だった。目覚めた時にレアがそこにいれば。……いや、命が助かった以上は、一旦中央へ戻ろうと促したのではないか。〝家〟のあるクロードには、捨てられないものが多すぎる。後を追わなかったのも、結局は自分の都合だ。  国がレア本人に固執せず、替え玉を立ててうやむやにしたのは予想外ではあったが、若き日のクロードはそこで思考を止めた。これでよかった、早く忘れろと自分に言い聞かせ、用意されていた結婚と階級を受け入れた。騎士団長としてあといくつかの武功を上げれば、国軍の要職に栄進する。  年若のメイドが退出したのを見届けて、ロゼは二杯目の水をクロードに渡した。 「それで、モンテガント公はどのような?」  ロゼの問いかけに答える前に、クロードはグラスを空にした。  モンテガントは北部に近い交易街を持つ有力貴族で耳が早い。中央に滞在している間は軍の幹部を呼んで連日宴を催し、噂話を吹聴するのだった。  クロードも、騎士団長になってからというもの、ほとんど老人の自慢話でしかない情報を聞くために呼び出される。ただ、いつもなら使いの者に屋敷まで連れて行かれるのだが、今回は向こうから供を数人だけ連れてやってきた。 「レア殿ご懐妊とのことだ」  ロゼが広げる部屋着に袖を通しながら、クロードは昨夜の記憶を漁る。「火竜姫が身重のうちにボブロフが動くかもしれない」 「なんと……」 「公の報告は話半分に聞いたほうがいいが、上に伝えておく必要はあるだろう」 「ご成婚から三年ほどでしょうか。お年からしても不思議はありませんね。でも、そのようなお話ならいつものようにお屋敷に招待なさっているのでは?」 「今回の主題はそこじゃない」  クロードは着替え終わり、揺り椅子に再び腰を下ろした。「火竜姫の子との緑談をまとめろ、と」 「まだ生まれてもいらっしゃらないお子を?」 「彼には孫が男女両方、まだ生まれたばかりの子もいるからな」 「それにしても気の早い」 「レア自身との結婚を逃したからだろう。子供が力を受け継いでいるのなら、嫁か養子にすれば、火竜の血筋が手に入る」 「──力を受け継げば、ですけどねえ……」  ロゼは声を低めた。  現火竜姫はレアと名乗る別人だ。事実を知るのは父将軍の配下数名とクロード、身代わりとなった少女当人のみ。父は国王にすら隠している。モンテガントのような大貴族でも、レアの顔すら見たことのない者が気づくはずはなかった。 「必要なのは名声だ。モンテガントの爺さんもそうだが、千里を薙ぐ炎が実際どれほどのものか、見た者は少ない」  椅子を揺らして窓に目をやる。敵兵を巻き込みながら大地を舐める火を、クロードは思い出していた。 「気になったのは、〝生まれたらすぐにモンテガント領に引き取りたい〟というところだ」  クロードは言葉を切る。ロゼの顔に疑念の色が表れた。  続きを話そうとクロードが口を開きかけたその時、先程のメイドがノックもせず飛び込んできた。 「大変です! シーファ様が!」 「どうしたというのです」  ロゼが対応する。 「シーファ様が、突然火を……!」  クロードはすでに廊下を走り出していた。突き当たりには我が子が呆然と、足元に燃える花を見ている。炎の中でマルリルの枝から膨張した水分が泡を立てていた。  生木を燃やすのは、魔法の火だ。
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