第6章 - 10 years later - 粉屋の二階

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 クロードがモニックへと発って二日。プルデンスは自邸の庭のあずま屋にいた。朝のまだ涼しい時間帯、石造りのテーブルは冷たく、書物を広げるには適している。  風がページをめくるのを、プルデンスはぼんやりと眺めていた。ぱらぱらと巻き戻った見開きに、花びらが一枚、舞い降りる。 「早いものだ。もう、季節が移る」  払い落とそうとしてその手を止める。庭の入り口に来訪者の気配を感じ、貴婦人は花びらをページの中央に置き直して本を閉じた。  案内もつけずにあずま屋まで乗り込んできたのは右軍のベロニド将軍だった。 「これはベロニド卿。ご機嫌麗しゅう」  プルデンスは立ち上がり、その場で膝を折って挨拶した。「ご連絡いただけましたらお出迎えにあがりましたのに」 「聡明なる大魔導プルデンス。無駄に抵抗などしてくれるなよ」  あずま屋からの道を塞ぐようにベロニドが立ちはだかった。遅れて数名が庭に駆け込んでくる。すでに屋敷は包囲されているだろう。 「王太子の密命を果たさずクロード・ラヴァルが行方をくらました。央軍幹部にも反逆の疑いが掛けられておる」 「直々にお越しとは、痛み入ります。兄上のほうにはブリエンヌ卿が向かわれているのですかな?」  扇を広げて口元を隠すプルデンスに、ベロニドは鼻白む。 「ふん、少しは動じるところを拝めるかと思ったがな。今ははぐらかされておいてやろう。話は後で存分に聞く」  ベロニドの合図で、若い騎士がプルデンスの両脇に回る。プルデンスは優雅な手つきでそれを拒み、あずま屋を出た。 「わたくしなぞに構っておられるとは、右軍……もとい、アンブロワーズ王家もまだまだ余裕があると見える」 「なに?」  聞き返すベロニドに、プルデンスは扇を畳んだ。 「クロードが姿を消したのであれば、レアの説得は失敗したということでしょう。火竜の炎が味方につかないのであれば、早急に策を練らねばならぬところ。今、帝国に攻められでもしたら、ひとたまりもありませんな」 「貴殿……何を知っている」  ベロニドはプルデンスを睨んだ。 「何も」  涼しい顔でプルデンスは答える。「可能性の話をしたまで」 「元はといえばラヴァル家が火竜姫を死んだと偽ったせいだろう。夏至祭での件も含め、すべての発端……この罪は重い!」  ベロニドは腰の剣に手を掛けた。 「おや、早計な。まだわたくしは裁かれておりません。今この場で狼藉を働くのであれば、主人(あるじ)としてもてなし方を考えねば」  プルデンスは右手の五本の指にそれぞれ火を灯してみせる。ベロニドはゆっくりと剣から外した手を自分の腹で拭って黙った。 「お忘れのようですね」  五つの火は長く伸び上がり螺旋を描く。宙で結んで花になったそれをふっと吹き消し、プルデンスは笑った。 「火竜姫を亡き者にして、帝国の仕業に見せかけるという十年前の左右軍の思いつき、失敗の尻拭いをしたのは央軍だった」 「古い話を……同時に帝国からも襲撃させ有耶無耶にしたのは、チチェクの魔導士を飼い慣らした貴殿の差し金と言われていたではないか」 「そう思われるならば、飼い主を不在にするのは上手くないのではありませぬか」 「口の減らない女よ」  吐き捨てるベロニドに、貴婦人は静かな微笑みを返す。 「では、参りましょうか」  プルデンスに促され、ベロニドは歩き出す。騎士が両脇につくのを、プルデンスはもう拒まなかった。高くなってきた夏の陽射しを受けて庭が輝く。ある花が散れば、また別の花が盛りを迎える。  クロード、可愛い甥よ。それでいい。すべては、これからだ──。
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