第7章 - 10 years later - モンテガント公

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第7章 - 10 years later - モンテガント公

「こっちだよ! 早くおいで!」  絹織りの上衣を着た少年がシーファを誘う。「待って!」光の中へ走り去る後ろ姿をシーファが追いかけていく。  子供たちの笑い声が遠ざかっていくのを木陰で聞きながら、レティシアはモンテガント公と午後の茶を囲んでいた。 「チチェクがこんなに復興しているなんて、思ってもみませんでしたわ」  目を細めて遠くを見やるレティシアに、モンテガント公グラシアン・サランジェは満足げにうなずいた。  湖のほとりに建てられた避暑用の小邸が、レティシアとシーファにあてがわれた住まいだった。庭園はないが湖まで切り拓かれた緩やかな下り坂は芝地に整えられ、一本植えられた枝張りの大きな木の下は晴れた日に外で休むのにちょうどいい。  モンテガント領の西に隣接する旧チチェク国域。半島統一の際に焼野原となった土地は、十余年の月日を経て、街と自然を取り戻している。荒れていた頃は通商路も迂回していたが数年前には開通し、今では道沿いの街にも活気が戻っているという。 「拝領した頃は魔物がうろついて、とても近寄れる状態ではありませんでしたがね。もっとも、このあたりは旧チチェク王都から遠くて被害の少ないほうではあった。近隣の村にはチチェク人がそのまま暮らしている」  モンテガント公は椅子にもたれて口髭をしごく。「過ぎてみればあっという間だ」  そこに先ほどの少年が戻ってきて飛びついた。重心を椅子に預けていた老体はあっけなくひっくり返る。 「こらっ、ロイク! やんちゃも大概にしなさい」  言葉ほど怒ったふうもない大貴族を、その孫ロイクは笑いながら助け起こした。 「お祖父様、舟を出して! ねえ、いいでしょう?」  甘える様子はシーファとさして変わらない。歳は確か、八つと言ったか。レティシアは二人のやり取りを微笑ましく見守りながら、ロイクに続いて駆け戻ったシーファを抱き止めた。 「だめだよ、ロイク。元々私だけで来るはずのところにお前が無理やりついてきたのだ。もうじき帰り支度もせねば。また今度、父様たちと来た時になさい」 「……はーい」  少年は祖父から体を離した。シーファの視線に気が付くとばつが悪そうに顔を背ける。初対面の女の子に良い格好をしてみせたかったのだろう。「舟に乗せてやる」などと言って。  モンテガント公も察したのか、 「まだ少し時間がある。舟はだめだが、小さなレディを湖に案内して差し上げたらどうかな?」  肩を叩かれるとロイクは面を輝かせた。 「うん! シーファ、行こう!」 「ロイク。お誘い申しあげる時はそうじゃないだろう?」  祖父の声に、少年は走り出そうとしていた姿勢で止まる。 「そうだった! ……よろしければ、お手をどうぞ」  背筋を伸ばして軽く肘を曲げ、微笑めば、幼いながらに立派な貴公子だ。恥ずかしそうに母を振り返るシーファにレティシアが頷くと、小さなレディは満面の笑みで貴公子の腕に掴まった。
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