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「シーファを!?」
予想外の申し出にレティシアは声を上げた。モンテガント公は真顔で頷く。
「ラヴァルはおしまいだ。若様が何を考えているのかわからないが、ディディエ殿下の命令に背いたら不敬では済まされまい。反逆の意思ありと見なされれば、あなた方妻子にも累が及ぶ」
「そんな! わたくしたちは、何も……! それにあの人が国に背くなど、ありえませんわ!」
ラヴァル家は代々将軍を輩出してきた。アンブロワーズ王家の信頼を裏切るはずがない。
「法のうえの話です。父君は央軍を動かせるお立場だ。そうでなくとも反逆の罪は重い。親族にも同刑が下される」
視線を逸らし笑みを消した目元からは、多少なりとも本心からレティシア母子を憐れんでいる様子が見て取れた。同時に、懇ろに付き合ってきたサランジェ家への飛び火を厭う冷徹さを透かして。
小さく茶器が鳴る音で自分が震えているのに気づいて、レティシアは持ち手から指を離した。
モンテガント領は大陸に近接した交易街を有する。帝国への通商路を行き交うのは物と商人だけではない。情報や人脈もまた、税収と等しくサランジェ家に集まる利得であった。
「ボブロフの社交界にはアンブロワーズとの結びつきを求める動きがある。あなたもご存じの通り、婚姻は有効な手段だ」
シーファをサランジェ家の令嬢として有力貴族と婚約させる。モンテガントは帝国社交界にも血縁を得て、さらに力をつける。仮にクロードが反逆罪と断じられても、アンブロワーズは迂闊に手を出せなくなる──。
「これは前々から考えていたことなのです。火竜姫様のお子を、……というのは断られてしまいましたが、結果としては良かった」
「火竜姫」。その響きに、レティシアは息を呑んだ。
「ご懐妊のレア殿は本物の火竜姫ではなかったと。現れた本物は無法者に成り下がり、今やアンブロワーズの脅威。火竜姫並みの力を秘めたシーファ嬢援助のお話を大魔導閣下から頂いた時は、追い風が吹いてきたと思ったものです」
一口茶を啜ったモンテガント公の視線がレティシアに戻ってきた。
「悪い話ではないはずだ。シーファ嬢はまだ七歳。あちらの文化に馴染むなら早いほうが良い。行儀見習いにかこつけて、あなた共々送り出して差し上げることは難しくはない」
「大変有り難いお話だとは思います。ですが、そのような……わたくし一人ではとても決められませんわ。少し、考える時間を……」
「それはできない」
モンテガント公は首を振った。「実は、中央からはすでにあなた方を引き渡すよう言われていたのですよ」
クロードをセルジャンへ戻らせる切り札として。
「だが私は断った。レティシアとシーファはもうラヴァル家の者ではないと言ってね。今はまだ嘘だが、あなたにはそれを事実にしてもらう必要がある。どのような手を使ってもシーファを守ってほしい、それがプルデンス嬢たっての頼みなのです」
「叔母上様が……」
それ以上の言葉は出てこなかった。モンテガント公に返す視線に力を込めてレティシアは頷いた。もう震えは止まっていた。
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