第7章 - 10 years later - モンテガント公

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 クロードは剣を握りしめたまま森の中を走っていた。近隣の住人が使う程度なのだろう、切り拓かれた道幅は人が一人通行するので精いっぱいだ。  裾の擦り切れた薄い外套がはためく。捨てた騎士服の代わりに、道中すれ違った行商にいくらかで譲ってもらった物だ。裂けた布地の隙間から、腰に揺れる空の鞘が覗く。  マルリルと言葉を交わした後、モニックの街に部下を置いたまま、クロードは預けてきた愛馬とは別の馬を用立ててひっそりと旅立った。  夜が訪れても上官が戻らなければ、部下たちは中央へ報告する。火竜姫連行は王太子ディディエ直々の命令だ。任務中に行方をくらましたとなれば、央軍の中だけでは片付けられない。ただちに追手がかかり、父や叔母も反逆意思を問われるだろう。  それでもクロードは、マルリルをセルジャンに連れていくわけにはいかなかった。〝凍てつく夏至〟が本当なら、国同士で牽制しあっている場合ではない。何が起こるかわからないが、防げるなら防ぐ方法を、防げないなら避難や備えを講じなければ。  しかし、騎士団長の身で訴えても任務失敗の言い訳だと思われるのが目に見えている。将軍からだとしても王太子にはおいそれと意見できまい。信用に足る根拠がなければ身内贔屓と侮られ、父の立場を悪くするだけだ。  〝凍てつく夏至〟についての情報を集めつつ、アンブロワーズ王家と対等に会話できる後ろ盾を得たい。クロードはモンテガント公にその期待を寄せた。すでにシーファの件で借りを作っているのだ、もはやラヴァルに守るべき体面などなかった。  モンテガントから火竜領──旧ラビュタン王家に取りなしてもらう。盟友の助言であればアンブロワーズは形だけでも耳を傾ける。  ただ、本物の火竜姫がセルジャンに現れたという話はラビュタンにも伝わっているはずだ。名ばかりとはいえ偽物を領主として迎え入れさせたアンブロワーズに激怒している可能性はある。問題は山積み、ほとんど賭けだが、進むべき道は見えた。  中央からの追跡を避けるため、モニックから数日は馬を跳ばして街道を進み、モンテガント領へ向かう分岐で森へ入った。馬は逆方面へ向かう旅人に譲り、せめてもの撹乱を図る。  小細工をしたところで、クロードがモンテガントを恃みに行動するのは読まれているだろう。だが、今クロードが走っているのは、捜索の手が迫ってきたからではなかった。  少しだけ道幅の開けたところで足を止め、振り返りざまに抜き身の片手剣で薙ぐ。飛びかかってきた狼型の胴体が二つに割れた。血は出ない。魔物だ。  一度魔法で荒れた土地でも、年月をかけて元の自然を取り戻せば魔物の出現は減る。少なくとも昼日中(ひるひなか)に遭遇することはほとんどない。それが、クロードは森に入ってから半日で四、五匹は相手にしている。小物ばかりだが数が多い。  夜間もできるだけ距離を稼ぐつもりで松明の用意はある。火を焚けば魔物は寄り付かない。昼間に使いたくなかったが、点けたほうが速く進めるか。思案しながら、クロードは胸騒ぎを覚えていた。〝凍てつく夏至〟の予兆はもう起こり始めているのではないか、と。
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