第7章 - 10 years later - モンテガント公

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 ぶつかり合う金属音と雄叫びとが背後にそびえる山脈にこだまする。  将軍マリユス──否、〝元〟将軍マリユスは、白髪交じりの顎鬚をなびかせて、スティナ砦の見張り台に立っていた。眼下に広がる荒野には一千人ほどの砦の兵が横並びに陣形を展開している。攻めてきた二千ほどの勢力は帝国の先鋒……大々的に帝国が半島へ攻め入る口実づくりの捨て駒であろう。砦の手勢は数では劣るが、シェブルーから援軍が来るまで持ちこたえれば挟み撃ちできる。  早々に籠城を決め込んで援軍の到着を待つ手もあるが、砦から出て出迎えたのは、マリユスの独断だ。戦は始まった。目先の二千を相手に長引かせるのは得策でない。  かつてラビュタン王のもとでその名を馳せた猛将は、火竜姫レアが領主となったのを面白く思わない一人であった。半島はアンブロワーズの掌中に収まり、武功よりも社交が物を言う時代へ。生来、政治や貴族付き合いに興味のないマリユスは、王の隠居を機に自らスティナ山麓へ退いた。今はこの砦が彼の城だ。 「やはり、います!」  見張り台から乗り出すように戦場を見ていた若い弓兵が叫んだ。  目を凝らすと土埃の合間に時折、火柱が立つのがわかる。間隔は陣形のように規則性を示し、マリユス自慢の騎兵を阻む。 「魔導士が、歩兵百あたりに一人か二人」  弓兵の見当は妥当なところだ。前線でこの比率は半島従来の兵法が教えるより多い。白兵戦に魔法を混ぜ込んでくるのは──、 「チチェクの戦法だな」  アンブロワーズの央軍ですら手こずった魔導士の活用。半島にその用兵術が伝わったのは十余年も前のことだ。中央で大魔導プルデンスが導入を提唱したが、希少な魔導士を、命を落とす可能性が高い前線に配置すること自体が現実的ではなかった。  魔導士が希少なのは大陸でも同じだ。開戦のための工作で惜しげもなく前線に出してくるなら、帝国内でも浮いた存在であろうチチェク勢とみていい。  火の手が上がるたび、じわりと戦線が退がってくる。 「火竜姫はこれを蹴散らしたのか……」  老将の呟きは風に消えた。  半島統一にあたり、アンブロワーズに制圧され散ったチチェク軍。魔導士は多くが央軍に降ったものの、チチェク式の一兵団を編成できる程度には大陸にも数を移していたということか。にわか仕込みでないなら厄介だ。  シェブルーからここまでは六日かかる。援軍到着まであと二日。敵も挟み撃ちになることは予測しているはずだ。少しでも早く砦に踏み込みたいだろう。城攻めになれば魔法が有利だ。今の位置から後退せずに持ち堪えたい。 「弓兵も出撃! 窪地に誘い込んで狙え。私も出る!」  マリユスが指令を下すと弓兵は短く返事をして見張り台を降りていった。彼にとっては初めての実戦だ。精鋭を揃えてはいるが、今回戦場に初めて立つ者も少なくはない。  相手はどうだ。半島統一の戦火を生き延びた熟練者が多いか。若くても小競り合いの絶えないボブロフで育ったなら侮れない。  少しでも士気が下がれば押し負ける。自ら前線を指揮して援軍到着まで保たせなければ。火竜姫のような都合のいい奇跡は起こらないのだから。  マリユスはこの時まだ、火竜姫がイヴェットという別人だったことも、イヴェットが姿をくらましたことも、本物がセルジャンに現れたことも知らなかった。  最初から火竜姫の威光も実力もあてにはしていない。「千里を薙ぐ」がどれほどのものであれ、急襲を受けるとすれば、火竜姫が介入できない隙を突かれるのはわかっていた。  砦の兵には剣、槍の他に、魔法戦を想定した修練を積ませている。数は少ないが後方には魔導士も配備し、連携した戦法を取ることも可能だ。  常からの辺境を守るための備えに元将軍の采配があって、二千の敵を相手にスティナ砦は善戦した。シェブルーからの援軍が着くまで、砦に退却することなくチチェク勢と思しき帝国軍を押し留めたのだった。
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