第7章 - 10 years later - モンテガント公

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 サリーナは窓から差す月明かりで針仕事をしていた。一つしかないベッドにはイヴェットが寝息を立てている。腰掛けている長椅子がサリーナの寝床だが、横になってもなかなか寝付けないので、体を起こしたまま眠気が降りてくるのを待っているのだ。  シェブルーでウゴ、ラウルと名乗る帝国兵に出会ってから五日。二人が連れてこられたのはスティナ山麓の牧草地帯にある小さな村だった。  数十人の帝国兵が村を占拠していた。村人は一箇所に集められ、帝国兵の活動に協力を強いられている。  今いるのは村長の屋敷で、数部屋あるうちの一部屋に二人で押し込められている。ほかの民家と違って柵で囲まれており、出入り口に見張りがいる。監視は厳重だ。  サリーナが縫っているのは兵士の服だった。裂けやほつれを補修するようウゴに言われている。することがあるのは有り難かった。不安な時間を多少なりとも短く感じられる。ほかに村人がいるのも、ここまでの道中に比べれば心強い。もしイヴェットが産気づいても、ここならお産を手伝える人がきっといる。  窓から覗く月は丸く大きく、明るい。サリーナは細く息を吐いて、作業の手を止めた。目の奥が痛む。心身にも疲労が蓄積している。それでも眠気はなかなかやってこなかった。  部屋は静まり返っている。喉の渇きを覚え、グラスの水を飲み干すと、水差しが空になっていることに気づいた。自分が寝てしまった後にイヴェットが目覚めて飲むかもしれない。用意しておきたい。  イヴェットが熟睡しているのを確認して、手燭を灯す。水差しを手に、物音を立てないように部屋を出て炊事場へ向かった。  廊下の角を曲がって炊事場の入り口が見えた時、サリーナは中に人の気配を感じて足を止めた。炊事場は土間になっていて、見張りの兵たちが出入りに使っている扉がある。誰かがいるとしても不思議はない。  鉢合わせたくないサリーナは手燭を足元に置いた。灯りを背負うように立つと、炊事場からも月明かりとは別の灯り──蝋燭か何かの光が漏れているのがわかった。  光はしかし、すぐ消えた。扉の開閉は聞こえない。そこにいるのに、灯りだけ消した? 不審に思って、サリーナは足音を忍ばせて近づき、中を覗いた。  炊事場は青白い月の光に満ちていた。月の見える窓に向かっている男。横顔はもう見慣れてしまった、ウゴのものだった。  静かにゆっくりと、両膝を突く。額の前で指を組む。それが祈りを捧げる仕草であることは、信仰のないサリーナも知っていた。合掌の影が目元を隠し、固く結んだ唇の白さを引き立てる。静寂が降り積もるような一秒が大切に過ぎてゆく。サリーナは息を呑んだ。  サリーナの目に映るウゴは、荒々しくぶっきらぼうで怖かった。必要なくなれば自分を殺すかもしれない相手なのだから無理はない。にも関わらず今、見とれてしまっている。祈りが終わらないうちに部屋に戻らなければと思いながらも、目を逸らせずにいた。 「──見せ物じゃない」  祈る姿勢のまま、ウゴが声を発した。サリーナに向けられているのは明らかだった。 「ごめんなさい、私……」  咄嗟に返したサリーナは、壁から半分以上体が出ていたことに気づいた。恥ずかしくなって顔を背けるが、体は恐ろしさに反応してその場から動けない。  近づいてくる足音に身をすくめる。月の光が遮られ、覆い被さるような位置にウゴの顔が来ているのがわかった。 「あんたは、運がいい」  囁く声は意外なほど穏やかだった。恐る恐る顔を上げると、逆光の中でウゴは懐から何かを取り出した。指先が光る。  鼻先に突き出されたそれは、内側に青い輝きを秘めた仄白い石だった。支えているのは美しい彫金の立派な指輪だ。これほどの代物はイヴェットの宝飾にもない。リオネルが結婚式の時にだけ嵌めていた、ラビュタン王家の証なら匹敵するか。 「王家の証……」  サリーナの呟きはウゴに聞こえただろうか。彼は指輪を右手の親指に嵌めて言った。 「歴史が変わる時が来た。〝月満ちて(チチェク)輝けり〟だ」
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